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2011.12.19

台湾訪問 2011年11月

 台湾訪問

先月の11月末

1年ぶりに台湾に行って来ました。

訪問主目的は

昔取引のあった電子部品関係の会社へ

1年ぶりの表敬訪問

それと、私の親戚関係の同級生で

彫刻家の山下清と云う人物がいます。

現在

日展の彫刻部門で審査員をやっており

その友人が台湾で合同の個展をやるとの事で

2つ合わせての台湾訪問と成りました。

ただ友人の個展については

残念な事に 日程の食い違いから

個展開催前日の準備段階の訪問と成り

本人と現地で顔を合わせる程度と成りました。

訪問主目的の台湾電子部品メーカー

私が取引していたのは12年前から5年間位で

その間、携帯電話の充電部のコネクター等を

日本のプラコーにて生産し

台湾と中国に出荷していました。

その後も取引は無くても

年に数回は事ある毎に連絡を取りあっていました。

私も付き合う事で色んな勉強をさせて頂き

日本の商売の考え方と

台湾の華僑的な商売の考え方との違いは明確で

特に12年前の同時期に

タイランドに拠点を設ける時期と重なり

台湾華僑の会社と付き合う事で多くを勉強して

偉そうに言いますが

台湾華僑と付き合う事で自分なりに学んで

独自の経営スタイルをして来た感はあります。

その台湾メーカーは

12年前に私が知り合って後

急成長して台湾国内では株の上場し果し

中国の大陸では

杭州とシンセンに大きな工場を持ち

今から4年前に

台北市の郊外の樹林駅前に

下坪1,000坪位 ×8階のオフィスビルを建て

是までの主力商品は

携帯電話のノキアの充電用コードを生産

ノキアは世界一の携帯電話シェアを持ったメーカーであり

時代の商品でもあり破竹の勢いで成長していました。

しかし現在

世界的にも携帯電話の市場のトップはノキアから

アップルのiPhoneへと変わってしまいました

それに伴い

是まで破竹の勢いで成長して来たものが

急速にブレーキが掛かり後退してしまい

業績を落とし、会長等は株主に責任を取る形で

現在、直接の経営から降りた形と成ってしまいました。

私が思うに

現在、世界的目玉商品の携帯電話で

世界一の座にあったメーカーでさえ急降下した状態

世界的目玉商品故の宿命なのか開発競争が激しく

昨日まで世界一であっても

一つヒット商品が他社から出て流れが変われば

明日からは塗り変えられてしまう。

世の中

商品も市場もグローバル化され

世界市場の中で目立つ商品の宿命なのかも知れません。

是が電化製品でも

昔からの電化商品、白物商品の洗濯機であれば

この様な激しい乱降下は無いと思います。

日本の弱電メーカーも

バブル以後

IT関連に力を入れ

技術はあっても携帯電話等の日本の身勝手な

開発商品では世界市場化出来ませんでした。

その間

世界の先端ばかりを追う形で

従来の商品開発等を置き去りして

その市場を海外メーカーに市場を奪われてしまった。

一方

時代の先端ばかりを追い続けていると

何処かで行き詰まり

違った方向性から新商品が出て来て逆転され

経営も行き詰まる

従来商品が経営の基礎であり土台であるべきで

先端を追う事は一つのポイントでしか無い

全てを掛けてはいけないと云う事に成ります。

今回も台湾を訪問し一つ勉強に成りました。

現在、日本は、ひ弱さを感じ

中国は、まだ不安定さの中の嘘を感じ

タイは、いい加減さを感じてしまいます。

その点

台湾は日本より前から海外移転の先輩国でもあり

その中で、生き残りへの力強い締りを感じます。

今後も機会を見て台湾を訪問し勉強したいと思います。

*写真は以前訪問した事のある

中正記念堂と台北市郊外の忠烈嗣です。

2011.11.23

タイ洪水 11月19日 現在(終息)

タイ洪水11月19日 現在

バンコク周辺は多少の不安はあるものの

アユタヤ辺りから バンコクにかけて

多い時で1.5m強あった水が

足元辺りまで水位が下がった処もあるとの事で

当方の工場は、

ギリギリセーフ?大した設備被害は無いですが

今回の洪水も終息に向かっています。

私の知り合いの会社も含め

今回の洪水で被害を受けられた方々には

御見舞いを申し上げます。

今回の洪水で私が感じたことは

今回は特別ですが

毎年雨季の終わりの10月頃に成ると

洪水でバンコク等が危ないと云った話は

ほぼ毎年言われていたことで

今回はそれが現実に成ってしまったと云う事です。

現に海から100km離れたアユタヤ地区の

古い農家等は、家の作りが2m以上の高床式

その床下に小さな船が括りつけてある家を見て

昔、どうして田んぼの一軒家に船を置いて在るのか

疑問に思い 現地の日本人に質問し理解していました。

今回

多額の設備投資をした日系企業の面々は

深刻に受け止め悲壮感が漂い

タイ人は洪水にもめげず逞しささえ感じました。

結論は

日系企業は何十年に一度の想定外

タイ人側はもともと危機感を持っており

想定内と云った印象を受けます。

そこで今回の洪水の終わり頃から言われた

キングスダイク と云う言葉が入る様になりました

キングスダイクとは

1980年代にタイの国王(ラマ9世)が指示された

アユタヤから バンコクの東側に洪水時の水の抜ける

通り道を確保しバンコクへの洪水を防ぐものでした

タイの国王は当時から

この通り道を確保するよう指示をされていましたが

皮肉にも

タイの経済成長と共にバンコクの都市化が進み

洪水時の水の排水通路周辺が

市街地と成り工場が点在して行き

東西に走る道路等の盛土が防波堤と成り

水を遮り排水を止める形で流れない

そして近年キングスダイクの

ほぼ真ん中に新しい空港(スワンナブーム)を作ってしまい

バンコク市内から空港への通り道のハイウェイが

洪水をせき止める防波堤の役目を果たし

尚更バンコクの上部に来た水が

はけなくなり被害を大きくした感はあると思います。

要は経済が発展し物欲が

今回の被害を尚更大きくしたとも言えると思います。

今回 タイの現国王(ラマ9世)の御言葉で

王宮を守る為に特別の事はいらない

その前に被害にあった国民を助けよ

そして、水は自然に流れるに任せよ

タイの王様は

現在、海外亡命中のタクシンが首相時代に

物欲ばかりを求めては 人は真に幸せには成れない

人に必要なのは豊かな国土と自然である

人は自然の中にあり、もっと自然を大切にせよ

と言ってタクシン元首相を諌め訓示されています。

そして王様は

水を人間が制御出来るはずがない流れに任せよ

キングスダイクはタイの自然を愛し自然との調和を重視した

タイの現王(ラマ9世)の哲学的考えであったと云う事で

今回の洪水

自然を無視して 森林破壊を行い 都市化が進み 自然に逆らった

人が齎した現代社会がもたらした災害であると云えると思います。

私も 現在の経営自体が完全な物欲競争の世界です

最近の私 年齢のせいか

自然を見直し真の幸せとは何かを考える事があります。

*写真①~③ 11月17日バンコク北東の郊外の様子で

之でも数日前までは車も通れなかった地区です。

2011.10.29

タイランド洪水(10月26日~タイ訪問)

 タイランド洪水(10月26日~タイ訪問)
10月26日から タイを訪問してきました。
一言で言うとバンコク市内
一部バンコク市北部で冠水は有りますが
官庁関係も休みで
バンコク市内、車の交通量も極端に少なく
通りの店舗等は土嚢又はブロックを積み上げ
洪水に備えて待機した様な 嵐の前の静けさ
しかし
確実に洪水はバンコク市に近づいて来ている。
私が帰国と同時に
バンコクで日本人家族が多く住む
スクンビット地区で日本のテレビでも
放映されていますが
冠水が始まっている との情報が入って来ました。
まず
当方の工場(バンコク東50km地点)
今の処は洪水被害の問題はありません。
それより問題なのは
当方のタイ現地スタッフは
バンコク市内のスクンビット地区にて
家族と一緒にアパートを借りて生活していますが
今後、バンコク市内に洪水が回り
スクンビット地区では
この先1m位の冠水に成ると言われています
すでに
近くのスーパーマーケット等に
飲料水は売って無く
コンビニ等も品数は、ほとんどない状態
食品関係も完全に品薄状態で生活が出来ない
日本人学校も11月14日まで休校決定となり
生活も出来ない状態で
奥さんと子供を
27日急遽、日本に一時避難させました。
工場責任者は状況次第で
しばらく工場にて生活する事に成りました。
それでもまだ私らのタイの拠点は
現在災害は無く恵まれています
私の知り合いの会社は
バンコクとアユタヤの中間地点の
バンコク真北40km地点位の処に工場があり
10日程前に冠水して
現在
工場外は120cm位の水に埋もれて要るとの事
それを土嚢等で工場を内に水が入るのを防ぎ
それでも入って来る水を24時間ポンプで掃出し続け
社長も
ずっと工場にへばり付いて24時間監視して体を張り
タイ人スタッフと共に必死に工場を守っているとの事で
何とか
現在でも10cm以下に抑え必死に機械を守って
何とか工場内へ入る水を食い止めていますが
トイレは洪水で逆流して戻ってしまう
特に
工業団地周辺の洪水の水は
トイレ等の汚物 +工場の油等が流失して
かなり汚染され その会社の怪我をした
タイ人社員が 洪水の汚染された水に浸かり
破傷風に成ったと云った話も聞きました。
今回、私は日本から
インスタント ラーメンを非常食として持ち込み
その会社に
陣中見舞いに行きたかったのですが
距離にして3km位
深さ1m以上の汚水の水の中を歩いて
行かなければ成らず
会社員全員 必死に工場を守っている最中
訪問しても邪魔に成るだけで断念しました。
私も
これまで この様な災害の経験はなく
日本で安易に受け止めて居た事を反省していた
そんな時
日本から暇な興味本位に電話して来た知人に
現地で タイの洪水での被害の現実を
見て 聞いて
思わず反発を感じ無愛想な対応と成りました
人の事は言えない
その知人も私も、災害の無い平和ボケしているだけです。
他に
タイ人で
飼育していたワニが200匹逃げたとの報道が日本でも
ありましたが
その地区の タイ現地の知人ですが
自分の家に行くのに片道7kmを
1m~1.5mの水の中を歩いて行って来た
と云った話も聞きました
私だったら 何時ワニに咬まれるか怖くてとても行けません。

私は記者ではありませんので
興味本位で 今回の洪水現場には行ってませんが
左上の写真から説明しますと
① 当方の工場の製造建屋です
シャッター部3か所土嚢を積んで備えています。
建屋の中の機械が水についてしまったらアウトで何とか
建屋に水が入り込り込むのは阻止しなければ成りません。
② 事務所の中
脇机や書類関係は 全て机や書庫の上に上げて備えています。
事務所建屋の玄関にも 土嚢5段位積み上げ
土嚢を乗り越えて事務所建屋に入らなければ成りません。
③ 工場近く(約1km離れている)のバンパコーン川で
川幅は300m以上は有り
後2km位下れば タイ湾への河口に成ります。
川の向こうの西側50k地点がバンコック市内に成り
どこまで東の当方(バンパコーン地区)まで攻めて来るのか
現状では何とも言えません。
10月28日現在、水位は多少上がっていますが
今の処、川が氾濫して溢れ出すまで云っていませんが
水位があと 1m以上上昇すると危ない状態です。
(下記 10月22日ブログ分)で紹介
④ 10月27日
今すでに浸水している バンコク北のドムァン空港から
(ドムァン空港は現在 国内線のみです)
バンコクに向かった数キロ地点
打ち合わせの為に訪問したオフィスビルの前
土嚢が高く積み上げられ、もうすぐ洪水が押し寄せる最前線でしたが
翌日の 28日洪水の水が回って来ました。
⑤ 10月28日
バンコク北西地区の王宮すぐ近く
朝から役所に訪問して 16時までミーティングしていました
写真は手前が10m幅位の用水路で2m位の余裕がありますが
水門の向こうはチャオプラヤ川(メナム川)
水門の向こうとでは水位1m以上の差がありますが
チャオプラヤ側は あと50cm位で溢れそうでした
私らは16:00に、この王宮近くの地区を離れましたが
18:00頃、日本のテレビでも放映されましたが
大潮で王宮周辺の浸水が始まりました。
⑥ 10月28日
バンコク市内のチャオプラヤ沿いのビルから撮影
右上端に見えるのはヒルトンホテル
中央下がオリエンタルホテル 左下がシャングリラホテル
他、シェラトンホテル ペニンシュラホテルのある地域です。
左中央に見える空地には完全に
チャオプラヤ川の水が入り込んで横の民家らしい建物が
完全に水が入り込んでいます。
私が見た印象では
後、数10センチ(50cm以内)でチャオプラヤ川から溢れ出しそうです。
タイの王様、やはり偉い方です。
今回、バンコクの象徴の王宮まで冠水しましたが
タイの王様(ラマ9世)は談話で
王宮を守る事より
200万人の国民が災害で被災している
その200万人を守る事を最優先せよ
とのタイ国王の談話が情報として入って来ました
どこかの首相が雨が降ったから、、、行かない?
偉い違いです。
やはり在位が世界一長く 世界一信頼された国王で偉い方です。

2011.10.22

タイランド洪水 (10月22日現在)

 タイランド洪水
10月22日現在
タイランドの洪水が
徐々に南下して来てタイランドの首都
バンコクに押し寄せて来ています。
私が2週間前のタイランド訪問時に
現地責任者からバンコクの北
約80km地点のアユタヤ近辺の
工業団地が洪水で危ない状態で
トヨタ等が部品調達先を洪水被害の無い
安全な地域に移す為
受け入れ先を新たに検討をしているとの事
毎年タイランドでは
雨季の終わりの10月に入ると
洪水でバンコクが危ないといった話は
これまでも毎年の様に話題に成っていました。
ただ今回
私がタイランドから帰国して
2週間が経過し何十年に一回との事ですが
テレビ等で報道される映像を見た通り
今年の水災害はタイの経済を根本から
脅かす事態と成り半端ではありません。
もともと
バンコク海側から北方面
150km以上の地域は幅も 100km以上の
絵に描いた様なデルタ地帯で
バンコクの北アユタヤの上辺りから海抜
数メートル地帯が約100km先のバンコクを
超えたあたりまで続いています。
その間の土地を50cm掘れば
水が出てくる様な地盤で粘土質
又はヘドロっぽい様な柔らかい土です。
当方が
工場建設(バンコクの東50km地点)の際
3m間隔で碁盤の目のように長さ30m位の杭を打ちました
その際、大型トラックに乗せた櫓から大きなハンマーで
杭打ち機で打ち込みますが
打ち込みから5m位まではドンドンと打ち込みながら入り
それが、5m超えた辺りから15m位までは
杭打機のハンマーを上に乗せ重みだけで
杭の根元から水を吹き上げながら入って行きます
5m~20m位までは水を多く含んだ
スポンジの様な水の層と云う事になります。
私ら日本の 富山県の平野部は
農地(田んぼ)から砂利を採取している様な
代表的な山から海に向かっての扇状地です
山から海へ高低差もあり、
いくらゲリラ豪雨でも排水が効いて
翌日までには海へと流れてしまい残ることはありません。
それが上記のとおり、
バンコク周辺の ほぼ海抜0m地帯では
土と溜り水が同居している土地で雨が降っても
土地での雨水の吸収は出来ない
雨季に入り
日本のゲリラ豪雨が一般的なタイでの雨季です
長期にわたると当然
小さな水たまりが、どんどん大きく成って湖状態になり
それが拡大し今回の様な事態に成ってしまいます。
また
アユタヤ地域から上の
サラブリ、スコータイ、チェンマイから上の国境へと
山間部の森林破壊が進んでしまい
山間部での雨水の吸収が出来なく成って
尚更、雨水が溜り流れ出た事も大きな原因です。

ここ数日
日本国内の知り合いから日に5回以上は
心配して頂いて電話等で問い合わせがありますが
日本の感覚とは違い、タイの土地についての説明に苦慮します。
さて
当方のタイ工場ですが
今の処は大丈夫ですが工場の操業は止めています。
当方は
バンコクの東50kmの海の近くに位置し
アユタヤ近辺からの洪水が
日に3km~5kmの速さで南下して来ており
バンコク地域との境には大きな川バンパコーン川があり
今後どの程度、洪水が東に広がって来るのか注視しています。
当工場も防護策として
機械が水に浸かってしまったら如何しようもありません
工場には現在、土嚢を1,000個位用意して
工場敷地の入口の門の辺りと
工場建屋のシャッター辺りに積み上げ臨戦体制
事務所の中の書類関係も上に上げて
工場全体 24時間体制で監視
毎日3回近く(1km先)のバンパコーン川に水位を確認
(今の処、水位が上がっている形跡無)
この先
南下してくる洪水の速度等を含めて考えると
来週の週(月末)辺りに当方の工場への
影響が出てくると思いますが予想が尽きません。
現在、神に祈るだけの待機状態成っていますが
最終的に今回の洪水で
日本から進出企業の内、製造業の30%位は
直接の被害を受ける可能性が有る様に感じます。

2011.09.05

愛犬 クレア

 私の愛犬クレアが
(ゴールデンレトリバーの雌犬)
私の家に来て あと数日
(9月10日前?)で、ちょうど8年に成ります。
これまでの8年間、私にとっては
心の隙間を埋めてくれていた 完全な癒し犬で
私が近所を散歩も兼ねて動き回る際など
家の直ぐ裏の 公園等の散歩等には必ず
私の横か後をトコトコ付いて回っていました。
今から ちょうど8年前に初めて
我が家に 生後6か月の 幼いクレアが来て
初めは、しつけも出来ていない 何も知らない
ただ落ち着きの無い わんぱく娘のクレアが
8年間の歳月と共に
成犬へと成長して行き それと同時に
私にとって クレアが居る事が
家庭では当たり前の生活と成ってしまいました。
これまで家の敷地の2面(北と西)を
自由に行動出来る形で飼っていましたが
私が
どんなに遅く家に帰っても
必ず起きて 車庫まで迎えに来てくれていました。
私も
必ず御返しに頭を なぜてやる事が習慣でした。
それが終わり
私が家に入ろうとすると
今度は あわてて外を回って
私の居るリビングの外の 私に近い処に移動
私が家に入るのが 少しでも遅れると
リビングの外で クンクンと鼻を鳴らす始末で
後は 私の座っている すぐ外で
私を見ながら、ずっと座るか横に成り私を見ている。
私が家の中で移動すると
それに合わせて外で 一番近い処に移動
朝、会社に行こうとすると
クレアは 私の生活習慣を分ってて 私の前に
車庫へ移動して 私を待ち見送ってくれる。
私は冗談でストーカー犬クレアと言っていました。
また
犬見知りはしても、人見知りはしない。
誰にでもなつき 自分を可愛がってくれる人
誰にでもクンクンと甘えながら
自分の顔を相手に埋めて甘える。
本当に
人の心と言葉が わかる感じで
悪さをして、2度叱れば3度目はしない。
散歩をしても
リード無でも 私から2mは離れない
離れても 呼べば直ぐ私の右横に来て座る。
散歩途中ですれ違った人から
『なんちゅう、賢くて 大人しい 良い犬やね 』
と言われ
それを言われる事が 私の自慢でした。
全て
クレアは、私と居るだけで落ち着く。
私も仕事柄、何時も
いろんな悩みを抱えてしまいます
私が家で ボッとして考え事をしていると
黙って 私を見ながら心配そうに
何時までも待っている
私が我に返り
クレアに目を向けるだけで心配が解けたのか
本当に喜んではしゃぎ直ぐ私に向かって座る。
天真爛漫で
頭が良く、情があり、優しく、悪が無い、
本当に明るく、家庭では常に私の傍にいる、、、
そんな愛犬クレアでした。
そのクレアが現在
腎臓を患い 末期の闘病生活を送っています。
犬は自分の、体の痛みとか不調は訴えて来ません
7月の検査時は異常が無く、10日程前の8月の末に
本当の異常を感じて病院に行きましたが
もう症状は末期で手遅れ
諦めるしかありませんでした。
今まで8年間
健康で無邪気に優しく
私の傍に居るのが当たり前でした
今、私が居るリビングの外の箱庭に
クレアの姿はありません
昨年沢山植えた庭木も
静かに見え動きが無くなり景色も変って
沈黙した様な状態に成ってしまいました。
私は今
『今まで黙って見守って来てくれて有難う』と
しか言えません。
そして私は、何時も一緒に居て
クレアの体の異常に気づかず放置していた責任
かぐや姫の様に、丁度8年間限定の使命を帯びた
8年前の9月初めに
我が家に来て 綺麗な期間限定の8年間
これまでの8年間に侘びと感謝と恩返しに
介抱をしています。
9月6日 21時06分 最後の間際まで,
痛みと苦しさを余り見せず
私ら家族に尻尾を振って気を配り、
小さな、ため息を2~3回繰り返した後
そのまま動かなくなり
私が『 クレア 』と叫び呼び戻すと
最後の最後にもう一度 ため息をして
私ら家族が見守る中、私の手に寄り添って
静かに息を引取り永眠しました。
もう、介護さえ出来無く成って終いました。
人が好き
家族が大好き、遠慮がちで人に迷惑を掛けず
愛されて
私ら家族には 最後の最後まで気を配り
素直で 明るく 優しく 新鮮な 思い出だけを
残して、、、、、
居なく成りました。
今の私は、
クレアの異常が判ってから
この10日間位の出来事で切ない急展開の終焉でした
クレアは 悪が全く無く素直に通り過ぎたのか
私の心の準備が出来て居なかったのか、
クレアとの思い出が ぼやけた様な、、、、、、
もう遠い過去の様な気がして成りません。
私は犬が好きで
此れまで いろんな犬を観てきましたが
クレアは人の心を読み取り 完全に別格でした。
今 此処で
愛犬クレアとの 8年間の尊い触れ合いを
書き残す事が 私にとって大切な思い出と成ります。

2011.08.17

嬉しい報告

 個人事ですが
7月末に初孫が生まれました。
長男の初の子供で女の子でした。
♪待ってました♪♪ とばかりに家族と
東京まで孫に会いに行きましたが
生まれて数日、ほとんど寝てばかりで
爺ちゃんなんて当然まだ判りもしない、、、
それでも♪
可愛いもんです♪♪
親馬鹿じゃ無くで、、爺バカと言ったら良いのか
如何しても、同じ病院の
他の赤ちゃんと比べてしまいますが、、、
やっぱり♪
こっちの方が可愛い♪♪ (やっぱり爺バカです♪♪♪)
でも、私は様子を観ているだけでしたが
本当に母子共に健康に出産出来て良かったです。
息子夫婦は東京に住んでおり
奥さんの実家も東京都墨田区錦糸町
3月の東日本地震災害後は
東京でも飲料水が無い状態で
生活そのものが不安定で危険な状態でした。
当時息子にも
出産時の一つの選択肢として
災害の無かった
富山での出産も検討させましたが
東京方面も5月位から落ち着いて
無事出産も出来て
今後の生活にも,さほど影響も無さそうで良かったです。
後は
どの様に成長して幸多い人生を送ってくれるか
その中で
この爺バカが 爺バカだけで入り込ま無い様に
(息子夫婦に叱られない様に注意します)
之は十分注意もして、長く見届けたいものです。
(そう言いながら、いつ東京に行こうか。。只今検討中)
この年に成って
いい歳に成って
ここ数年、初物が余りありません
爺さんに成る心の準備も十分でした
今回、人生初めて爺さんに成り
私の人生の
一つの節目でも在る様に感じます。
出産は当然奥さんですが
一応、私も男で父親に属しますので
男同志、取りあえず
息子良くやったと誉めてやりたい心境です。

2011.07.01

(株)プラコー 第17期  経営方針

 (株)プラコー 第17期  経営方針             
平成23年7月1日
意識を持って、競争力の基礎から成長を達成する。 
(社長 +製造部 +品質保証(品質管理)部 +管理部)=総合競争力の向上
挨拶に始まり  責任感と意識と礼を持って行動  そして挨拶に終わる。  
挨拶と笑顔はコストゼロの最良戦略、外部と社内にスキンシップが生まれ
有難う、お願いします。の挨拶は 仕事上個々に意識向上を忘れず
プラコー社員全員、お互い相手を理解し認めた挨拶言葉である。
【社長(上坂)】
:何を、如何始めるかに最も時間を費やすべきであり
準備していなかったチャンスはリスクと成る。
意識を忘れず、自己の勉強と成長に終わりがあっては成らない
これは、私も社員も会社も共有した永遠のテーマで有るべきである。
【 製造部 】
:全体の技術力の向上と分散
製造部社員(特に交替者)は全員若く人の配置等固定するべきものではない  
将来のプラコーは若い世代に掛かっている。 
各個人が自己責任で意識を忘れず、自ら進んで知識と技術を学ぶ事が必要である。
少し慣れて、勝手に出来上がり自分の成長を絶対止めない事である。
【品質保証(品質管理)部】
:生産活動の流れに沿った品質保証(品質管理)
管理者では無く、社内の生産活動上の流れの中での、1部門、1担当者であり
1実務作業者である。 己の意識を高め自ら
プラコーの実務の流れに入った作業を実行して実績をアピールするべきである。
自己中心に考えて、自己の成長を絶対止めない事である。
【 管理部 】
:責任感と意識の向上
責任感のある仕事を行って頂きたい、貴方任せの社員(組織)を引っ張って 
行くのは大変である。
各自責任感を持って職務に意識を持って行動してほしい。
現在の己の力量を100%とは絶対思わない事である。

㈱プラコー代表取締役  上坂敏志夫

2011.06.22

プラコー第16期 終了

 今月(6月)末日で
プラコー第16期が終了します。
我社の伝統なのか?
今期も
相変わらずバタバタしていた印象ですが
最近、地震の影響で仕事量も落ちて
逆に落ち着いた感があります。
決して良い状態ではありませんが
リーマンショック後直ぐに工場一つ立ち上げ
バタバタ状態が続いて落ち着かず
一時会社全体を落ち着かせる意味では
今回、多少妥協して良い事だと思っています。
(当然、この状態が続けば問題大ですが)
私自身、最近早く家に帰り犬の散歩です。
話は戻り
今期、我社で一つ目に付くのは
若い社員の成長でないかと思います。
今の体制に成って4年
紆余曲折を繰り返して来て成長し
新工場稼働時の増員社員(約30名)も
もうすぐ2年経過し
全員とは言いませんが成長を感じます。
年齢的に20代が半分以上占める会社で
この先も、
真っ直ぐ成長し知識と技術を意識を持って
自分で積極的に身に付けてくれたら
(自分でも甘いと感じていますが、、、)
今後の技術者不足の日本では
楽しみな会社に成ると感じています。
(あくまで、真っ直ぐ伸びてくれたら、、、です)
また
円高の是正と 中国の賃金の上昇等から
先の日本の製造業
先々も、色々問題もありますが
私が独立した、バブル以降、
日本の製造業は暗い話ばかりでした
此処に来て
多少曲がり角も有ると感じる様になりました。
来季は
その曲がり角が如何なのか?
見極めから探っていきたいと思います。
今回、短文の一人言でした。

2011.05.14

『こだまでしょうか』 金子みすず

 こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
東日本地震災害後の
今年3月から、よく各テレビ局で流されている
金子みすず の 『 こだまでしょうか 』 という詩です。
もう80年位前に作られた詩ですが
初めて聞いた時は、さほど気に成りませんでした。
しかし、自然に何度も聞いていると
時代に関係無く素朴な人の心を呼び起こさせる
今の私では見落としがちな人の
心のキャッチボールと云う事に成ります。
現代社会の強制的なマニュアルとしてでは無く
『 人と人の関係は、自然に そして単純に 
こんなもんだよ だから大切にしなさい 』
と諭していると思います。
私が二十歳位の時、友達5人でフォークグループを作り
他のメンバーは都心で生活、私一人少し離れた所沢にいて
恥ずかしながらセンスも無いのに作詞を担当していました。
当時
私の好きな詩は、どちらかと言えば生活の中の素朴な詩でした。
そこで参考にしていたのが
数年前まではラジオ放送されていましたが(現在は判りません)
永六輔と 遠藤ヤス子? の司会で
『 永六輔の7円の詩 』と云う番組がありました。
昔、葉書が7円の時代
自分で作った日常生活的な素朴な詩を葉書に書き込み投書
番組の中で 両司会に朗読して貰うものでした。
当時、私も数回投書しましたが、、、
残念ながら、、、センスが無かったと云う事でしょう
私の詩をラジオで朗読された気配は有りませんでした
当時、それをまとめ一冊の本として出版され私も買いました。
当時の私、それなりに感受性があり素朴だったと思います。
現在の私
プラスチック成形業を営み
車の電装部品に関わる部品を生産しています。
これまで何度か客先に言われ教育されて
社員にも言い聞かせている
人命に関わる、もの作りを行っている事に成ります。
その為に最大級の
厳格さを求められた社風なりを要求されてしまいます。
場合によっては信用は重要ですが
人命はもっと重要である。
やっても、やっても、きりの無い追及なのかも知れません。
また監督の私と
それを理解した一部社員で生産活動を行っていても
新人等の一般社員は初めは、そこまでの理解度を持たない
そこに
危機感を感じてしまい社員を疑ってしまう事にも成る
変な悪循環的な要素は確実にあると思います。

個人から数年で組織のある会社にして
知人等を会社に入社して来ましたが
上坂個人の中での付き合いであれば然程問題が無い。
しかし
会社社長の上坂に成ると妥協できない、許せない、、、。
そんな自分に矛盾を感じていました。
それでも相手は知人の延長線以上の考え方が出来ない
私も相当悩みましたが
私は選択肢として当然大きな借金等を個人で抱えており
会社社長と孤独を受け入れる道しかありませんでした。
そして現在
社内マニュアルを作って会社全体を動かそうとしている。
それは作る製品が
人の人命に関わる事と成ってリコールが如何と成ると
現代社会の個人の自由的社会での 
《 個人の尊重の時代 》 の中で
《 厳格に客先からの品質等の信用を勝ち取り守る 》
為には
いくら個人の自由社会だからと
各社員の勝手な自由的な進め方は到底無理
私ら車の電子(電装)業界では何処からも認められない
より鉄則的な掟的マニュアルの実行となる。
限りの無い信用を勝ち取る為には
自由社会と  ビジネス上の厳格な守り 、、、
この両面の矛盾した、複雑で、難しい、世の中に成っています。
単なる ものを作るだけであれば良いのですが
物事が複雑で難しすぎて就いて来れ無く成る
社員が出てもおかしく無い状態と時代に来ている。
また管理者が押し付けるだけで
立場上、自分は許されると云った様な勘違いすれば
社内全体
矛盾だらけになり収集がつかなく成ってしまいます。
最近、
私ら富山県から全国的なニュースとして
私ら高岡市と隣町の砺波市で発生した。
焼肉屋の食中毒死事件
これまで客先への対応では好評価の店でした。
現在の特にサービス業の客先対応は
完全マニュアル化されて店員すべて同じ対応
マニュアルに縛られ
コンピュターに合わせた様なロボット化している。
一見素晴らしいと思いますが
裏をいえば
仕事の原点からの教育が出来ず
マニュアルを作り
マニュアルに頼った仕事の進め方しかしていない
食肉の 知識と 取り扱いの基本(原点)を無視し
根拠の無い、上辺だけの仕事の進め方の延長線に
今回の様な問題が起きてしまった。
言い方を変えて
基本(本質)を無視した
マニュアル社会の延長線の 現在社会の上辺しか見られない
本質の判断が出来無く成ってしまい最大の欠点かも知れません。
私はビジネスは時により
人と感覚等を無視した怖いものと実感しています。
基本を無視した
マニュアルだけの会社運用にも限界にあり
それを悟った時
一度、人そのものの原点に戻る事になります。
今、
実行する人を無視した様なマニュアル化が進みすぎて
マニュアルを実行するのは人である事を忘れてしまいそうです。
複雑すぎる現在、それを検討すべき時なのかも知れません。
話は戻り
現在の製造業の現状
《 自由な時代の中での厳格な守り 》
客先等に対し
守るべき処は、しっかり守らなければ成りません
そして、理解力があり、あるレベル以上の社員で
なければ成りませんが
延々と 複雑に 強制的な積み上的な管理方法等に
持って行くので無く
一度 原点を見直し業務をより素朴で単純に理解しやすい
処に持って行け無いか検討して行きたいと思います。
地震後 特に色んな意味で
海外から、本来の日本人への見方が変わりました
それは
本来の日本人の素朴さのが原点にあると思います。
そして現在
仕事に要求され、取り組んでいる事柄等は
昔の素朴で従順な日本人が原点にあると思いますが
現在、その延長戦に複雑化ししている
時代の要求と共にレベルアップはしているかも知れません
しかし
要求事が時代と共にどんどん蓄積されて行くだけで
過度なレベルアップ
(うまく説明出来ません)
現時点で、日本人自体がアップ アップに成っている
それが原因で日本の社会的問題も多く発生している
本来の素朴さが原点の
日本人からかけ離れて来ていると思います。

私が会社運営で思っているのは素朴さを原点とし
全社員が理解出来る単純な物作りの会社
これは
客先の都合もあり簡単ではありません
マニュアルを無視するものでもありませんが
本来の日本人と日本人の心の原点である
素朴さの中の 侘び寂び的な心
日本人の原点的心を呼び起こす事が必要で無いかと思います。
これが私達日本人が
海外勢から一目置かれる本当の原点であり
外国人が日本の東日本地震災害者をテレビ等で見た時
テレビに映る年配者は、控えめに、冷静で、素朴でした
日本人の製造業の心の原点も、ここにあると思います。
原点の見直し、 原点の復帰、 原点の新たな積み重ね
日本人が絶対に失ってはいけない重要な心で無いかと思います
しかし
私が何の答えを持っている訳ではありません
我社の社員の年齢の80%は30歳前半から下の年齢層です
会社の生末と社員の将来を考えた時
会社の規則の取り決めであるマニュアルは必要ですが
それに縛られたロボット集団にはしたく無い
これを実行するには各社員の自覚が最優先ですが
本来の日本人の
素朴さの中に、礼があって、情がある、仕事の中にも情を感じる
客先等にも、それを感じ取って貰える。
間違いなく 100%理想ですが
理想は理想で、そのまま終わるかも知れません
しかし
私が勝手に追い求める事は個人の自由だと思います。

2011.04.09

東日本地震災害

 東日本地震災害
平成23年3月11日に発生いたしました
東北地方太平洋沖地震により亡くなられました方々に
謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。
3月11日の地震と津波、そして原発事故から食料汚染
一次災害 二次災害 三次災害 四次災害 五次災害へと
東日本のの災害地以外にも深刻な影響が出て来ています。
私らが住む富山県は
今回、幸いな事に東日本地震災害の被害はありませんでした。
そして、富山県は昔から自然災害が少なく
3月にも
新潟県と長野の県境で震度5レベルの地震がありましたが
両県の隣の富山県はほとんど地震を感じた人が無く
富山県を飛び超え
石川県能登半島に震度2程度の地震の揺れがありました。
北陸地方の富山県は裏日本に位置し
首都圏への交通アクセスの不便さを指摘されていますが
自然が豊かで、食べ物も美味しく県内インフラも整理されて
総理府の統計調査でも
最も住みやすい県の代表であると言われていますが
最近
今回地震による、四次、五次的災害が出て来ています。
この先、どうなるのか見当がつかない状態ですが
おそらく復興には10年位掛るとの事で
日本人の底力が、どこまで発揮し持続出来るか?
何としてでも力強く復興しなければ成りません。
私らプラスチックの世界でも現状
原料が入荷して来ない、製品を作っても吐き出せない。
地震災害の動揺から少し収まって
経済活動に目が向き出して物事が整理されてきた状態で
生産調整が入り
現在は
オーダーが止まって仕事量の減少と成って来ております。
短期的に、この先どう対応すれば良いのかわかりません
今回、未曾有の災害で仕方ありません
覚悟を決めるべきですが
何れにしても
この先、日本の国力は落ちてしまうと思います。
当社でも
社員全員参加して義援金を集め送金しましたが
海外から日本に対する援助活動は
之まで例の無い規模の援助を多くの国からも受けています。
この際、謙虚に受け止め
落ち着いた処で援助国に礼を尽くしてリセットし
再スタートして諸外国との付き合いに謙虚さが必要と思います。

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