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2012.10.03

ISO監査

 先月、ISO9001の監査を受けました

今回、監査を受けて感じたことがあります。

それは

ISO9001 そのものの限界点です

ISO自体、問題が発生した際の後処理の手法である

データーを作ってクレーム等が発生した際に

それを引っ張りだして問題の整理と解決を行う。

その点では企業は信用を勝ち取る為にISOは必要アイテムです

しかし

基本は、問題発生後の後の処理手法であると云う事です。

これがISO9001の限界点と成ります。

問題が発生したからISOの手法で問題整理する

でも、

その時点で問題が発生してしまっている事に成ります。

(幾ら上手く問題解決を行っても傷は残る)

厳密に言えば、問題整理であって解決とは言い切れ無い

確かに問題再発防止の事柄もありますが

問題を未然に防ぐと云った先行した品質管理に弱い

インパクトが薄い様に感じます。

品質管理自体、一般的に守り的要素が強い印象がある

品質管理自体、もっと攻撃的(前向きな)品質管理を目指す

それは、問題を未然に防ぐ先行行動と云う事に成ると思います。

今回、

私は上記の事柄を自分で見極める意味でも

品質管理部長を兼任する事にしました。

今季のテーマ

『 守 攻 』

品質管理業務において

守 = 日常の品質維持を全うする

攻 = 起こりうる問題点に 先見の目を持って問題を未然に防ぐ

(ただ、マニアルに準じた指示されたことだけでは 『 守 』 でしか無い

これが、前向きな品質管理 『 攻 』と 云う事に成ります。 )

その為には、人性格と感情が加わり 教育も大変ですが

今後、見極めながら実行して行きたいと思いますし

常に、色んな意味で『 攻め 』が無いと

会社は前向きに進まない、何を『、攻め 』と見るかと云う事です。

2012.08.31

鬼手仏心

 鬼手仏心

先日テレビを見ていて、鬼手仏心 と云う言葉が気に成り

パソコンで検索してみました。

鬼手仏心 の意味は医学の世界で良く使われる言葉らしく

見た目には情け容赦が無い様ですが

実は相手の為を思う意向を発する事。

外科医の身体を切り開く残酷な手術と

それによって患者を救おうとする心

ほぼ、辞書通りですが以上の意味が有ります。

そして日本の経済の現状

先々は私らの製造業界だけに限った事とは言い切れない

全体に現在の日本メーカーの円高等により競争力ダウン

商品のグローバル化の中で日本の国際競争力が無く成り

引き籠り政治に愛想尽きて

製造の生産拠点も 商業拠点等も海外に出て行ってしまう状況

それでも、政治も 政府も 行政も 無策中の無策

内側(引き籠り)での足の引っ張り合いの政局ばかりで

領土問題等の近隣諸国との摩擦においても無策

誤魔化し続けて何の解決もして来なかった

特に最近の政治は世界のグローバル化の中で何の進展も無い。

経済は、この20年間は、バブル崩壊の影を引きずったままであり

政治は、この10年間は、内政だけの国内 引き籠もり政治の延長で

特に この 5年間は完全に引き籠もり、政局だけで精一杯で外交無視。

結果、経済も近隣国との関係も無策の政治家の足元を見られ摩擦だらけ

世界のグローバルの中で世界からの笑いもの以外なんでも無い。

国内経済も政治が日本国全体バラバラで溜りに溜まった諸問題

⇒円高による企業の海外進出で法人税等の税収ダウン

⇒海外に出て見ても日本のブランド力低下で仕事量が確保できるのか?

⇒日本国内での働き口が無くなり国民の収入が減り税収ダウン

⇒税収ダウンして介護と年金、、金が無いのに如何するのか?

ただ消費税を上げて使い道ばかり考えている政治家や役人は

保身だけで話に成らない。

(すでに今後の消費増税分の使い道の皮算用をしている始末)

海外旅行で従軍慰安婦像の前で

近隣諸国の戦争記念館等の前で

『 御ふざけ 日本人 』 が

ピースをしながら記念写真を撮っている場合で無いと思います。

( 私は、この14年間 仕事で毎月海外を訪問(タイ 台湾 中国 インドネシア等)

その14年間、海外から見た日本を意識して来てましたが 私が思うに

アメリカの傘の中で、戦争責任を中途半端にしたまま、戦争が風化してしまい

時代の変化と共に、世界のグローバル化から日本人の海外旅行が多くなって

反比例して、日本の国力(政治 +経済)も落ち日本人に対する尊厳も無くなり

旅行先での平和ボケした、芸人的な行動等に腹が立つので無いでしょうか? )

企業は

年金や税金等も個人分+定年延長などの負担を企業等に

負担を増やして押し付けているだけの、、、押し付け政策と行政

是では、売上の上がらない利益の出ない、私ら弱小会社は

負担ばかり、国から委託( 押し付けられた )された状態で

コツコツ働く人間( 社員 )を会社( 企業 )任せにして税収を取って

働かない人間に税収を回し、その方が所得が多くなったりする。

矛盾した偽りの福祉政策と行政は、国民( 選挙民 )も悪いのですが

ピンボケ議員と苦労の知らない2世議員等の選挙の票集めに使われ

私は、弱小企業の大した給与も払えない経営者として

真面目にコツコツ働いてくれる社員に申し訳が立ちません。

こんな国では円高も手伝って海外に逃げて行くのは当り前です。

以上、全て私の長い愚痴ですが本当に腹が立ちます。

今回のテーマの 『 鬼手仏心 』

日本の国も国民も政治家も会社も経営者も社員も大人も子供も

日本と云う国に関わる人間全て必要なのかも知れませんが

『 鬼手仏心 』

ガラパゴス日本全体に、この考え方と実行が必要に成っていると思います。

しかし,弱小企業の弱小人間の私には、、難しい言葉です。

2012.07.04

(株)プラコー 第18期 経営方針

 (株) プラコー 第18期 経営方針

平成 24年 7月 1日

第18期 基本方針  『 守攻 』

守 =精度の高い安定した商品を作り客先への供給を行う。

攻 =守から信用を得て数少ないチャンスを勝ち取る。

守り切れない人間(組織)が、攻める資格が無い

まず、足元を固めて強固にして、時と状態(会社)をみて攻めるべきである。

社長(上坂)

仕事の確保(守)と 社員の活用(攻)

プラコーは是まで数年間は仕事が豊富で上向きの経営スタイルをとって来たが

此処に来て情勢も変化して来ており、今後別の次元に入って行くと捉えるべきである。

今後守るものは確実に守り貫く決意が必要であり(小組織であるが社員の適材適所)

少ないチャンスを勝ち取り、会社に取り入れて会社を存続させなければ成らない。

【 製造部 】

良品率100% ( 限り無い 安定生産の追求 )

守 =技術力を高め、100%良品の安定生産に常に心掛ける。

攻 =技術力を高め、人としての成長をして人格を高め多用性を高める。

心(信)、技(義)、体(態)である。

自分の作り出る製品、自分が扱う機械等に愛情を注ぐべきである。

抜き取り検査の後始末 →安定生産を目指す事により各自の技術力を高める。

【 品質管理部 】

製造工程に組み込まれた品質管理

品質管理部門は別物的考え方を部門として捨てて貰う。

守 =製造会社である以上、部門全体に生産工程に参画して売上を立てる。

無駄を無くし製造業の原点(原価意識)に立った考え方を持つべきである。

攻 =問題解決を仕事にしても傷は残る、問題を未然に防ぐ事が最大責務である。

【 管理部 】

意識を高める

守 =生産会社の主力である自覚を持ち、不具合品を客先に絶対に持ち込まない。

攻 =生産会社の主力である自覚を持ち、意識を高めて競争力を持つことである。

女子だから、若いからと云った言い訳は通用しない(一社会人の自覚を持つべき)。

厳しい世の中の戦力社員との自覚を持って意識を高めるべきである。

株式会社 プラコー     代表取締役 上坂 敏志夫

以上、

現在の厳しい社会環境から会社の生き残りが重要視される時代に於いて

一社員の 一個人的な守りと 考えは 受け入れられない状況にあり

強固な会社として今後も強く生き残るには如何あるべきか理解願いたい。

私感

之までと違い、今後(18期から)は仕事の確保、経営等

しばらく厳しい状態に入って行くと思います。

私自身、ただ眺めているだけでは駄目

当社の社員も若く、本当の苦労と苦環境を知らない

緊張感を持って慎重に進めて行かなければ成らないと思います。

2012.06.30

(株)プラコー 第17期終了

 ㈱プラコー 第17期終了

今月末(6月30日)で㈱プラコー第17期が終了します。

この一年

前半(H23年7月~)の売上減少からのスタート

中盤は上がり

後半は売上減少し暫くダウン状態が続くと思われます。

上がり下がりは是までも何度(嫌と言うほど)も経験して

昔ほど一喜一憂は無く成りましたが

先々、不安を感じる第17期末と成りました。

3年前の南砺工場スタート時の様な

一揆立ち上げの様な会社全体のバタつきも

若い社員が、それぞれ育ってくれており

現在の仕事の落ち込みもありますが

昨年から

会社全体に帰宅時間を早める様に進めて来て

今年の春以降から徐々に帰社時間も早く成って来て

お陰さまで妙に落ち着いた雰囲気もあります。

7月から新しい期(18期)と成りますが

最近の円高で

私らの自動車電装関係のコネクタも

海外生産へ移行の動きがあります。

今後の大きな不安定要素ですが

今の政治の、歯がゆい政局だけの政治

結果、

国民と企業に負担を押し付けるだけの

体たらく振りで先々生活は如何なるか?

私ら日本の製造業は如何なるのか?

不安だけが先行した状態の現状

私も、若い社員の先々を考えた時

取りあえず、身を引き締めるだけの言葉しか出せない

考えて、いくら考えても答えが出せない

自分と今の日本の社会が情けない気持ちと成ります。

この3年間は仕事をこなす為に

嫌でも前向きに進めて来ましたが

来季から完全にギヤチェンジと成りそうです。

2012.05.30

初孫の初帰郷

 初孫の初帰郷

先月4月29日より生まれて9か月の

初孫が東京から5月6日まで来ていました。

私は生後2カ月位から逢っておらず

私も初孫に如何接するか?

孫がどんな反応を示すか?

チョットした不安と緊張がありました。

初日

夜8時頃、家に帰宅して早速

孫のもとに

昨年9月から約7カ月近く振りの対面

恐る恐る孫に近き 抱っこして直ぐ泣きだしました。

怖い顔して、いきなり間合いを詰めすぎました。

今日は是位にして於いた方が良さそうで

後は近くで眺めるしか有りませんでした。

二日目

今日は直ぐ近づかず、遠方から少しずつ攻めて見ました

50cmの処まで近づいた処で顔色が変わり,,,,,,,,,,,

今日も此処まで

三日目

朝一番、1mから挑戦、

機嫌良しで私の顔をじっと見ていますが

機嫌を損ねる前にバイバイしたら何と無く答えてくれて

私も少し機嫌良しで会社に出社

良く寝た朝一番に攻めるのが良さそうです。

四日目

今日からゴールデンウィークで私も休み

午後からゴルフで午前中は孫と過ごしました。

まだ少し警戒されている様で

抱っこして顔色が変わる前に直ぐ降ろして様子見

何と無く大丈夫そう,,,,もう一度抱っこ

でも、今回も是位にしておきます。

五日目

朝、父親の息子が仕事の関係で

遅れて東京から帰京して来ました。

孫を抱っこしようとしたら

煙草吸った後に手を洗ったか?!

(自分だって煙草吸うくせに,,,,,,) とか!

色々と口煩い(親が過保護過ぎ)⇒チョット

ムカッ として無視して抱っこ

是が良かったのか?泣かない⇒笑ってる(感激です)

後は何時抱っこしてもほとんど泣かない。

此処からが、孫とのスキンシップの始まりでした。

抱っこしても

軽くて柔らかく、なかなか味わえない感覚

,,,,,,,可愛いもんです。

後は普通に抱っこ、東京に帰る前日辺りに成ると

私が手を出すと万歳をして手を挙げて答えてくれる。

ホンマに可愛いもんです,,,,,,,,,,,,,,,,,ホント。

ゴールデンウィーク中の、約一週間の滞在でしたが

じいじ(爺) を実感し満喫した休暇と成りました。

2012.04.09

父の 自分日記

 父の 自分日記(戦争体験記)

最近

一昨年亡くなった父の日記(自分日記)を読みました。

是は今から10年程前に私の実家の地元自治会で

村社の お宮さんに

後世に記録として残すタイムカプセルを埋めるとの事で

戦争経験者も少なく成り(現在、実家の自治会では経験者はゼロ)

私の父に、戦争経験談を記録として後世に伝えたいとの趣旨で

自治会から依頼されて纏め上げたものでした。

以前、この様な趣旨で話があり

本人が纏めている事は知っていました。

今回、その写しを姉から預かり初めて読みましたが

当時の日時がはっきりしており 常に死と向かい合った生活

( 現に 父の実兄は戦死しています

父の記録によると、父が21歳位に、トラック島で兄と再会しています

当時、父は小さな船の責任者もしており、ある程度の自由がきき

兄も父の乗船している、船名は判っており、お互い探していた様です

父は兄と久しぶりに再開して自分は、この先海軍の上の学校に行く為

日本に一時帰ることを伝えると、兄は自分の腕時計を直して来てほしい

もし、この先再会できなかったら自分の形見として受け取って欲しいとの事

その後、父は学校を卒業し任務でトラック島に行き 兄を探しましたが

すでに戦死しており、後々その形見の腕時計を大切にして

私が小さい頃、自分でその腕時計をはめていたのを私も覚えています )

当時から几帳面に日記(記録)を付けて

何時、果てるとも知れない日々を

その時の 今の瞬間を

自分が生きている証として記録していたと思います。

内容は

海軍入隊から 終戦後の戦後の後始末(除隊)まで記録され

旧日本帝国海軍が太平洋海戦で最大の犠牲を出し

後の 日本の敗戦を決定付けた、トラック島周辺の海戦にも参加して

毎日、

戦友が次から次と戦死して行く状況を刻銘に記され

本人も真近に 死と向かい合った状況を刻銘に記され

逃げ場の無い 軍艦の船上で身近な戦友が次から次と

血まみれに成り、戦闘の最中、戦友を救う事も出来ず

機関砲も戦死者を押しのけて 迫る敵戦闘機に立ち向かう姿

それでも次から次へと、戦友が戦死して行く状況を記されており

ただ壮絶としか言えません。

父は此処まで、生死のギリギリの状態を経験しているのか

生死の極限での状況下で、文面からも 自分で覚悟を決めて

周りが 戦死者だらけで、人も尽き、弾薬も尽きて

父本人も 覚悟を決め もはや死をも恐れぬ冷静な姿

恐ろしくもあり、生と死の極限を生き抜いた事を尊敬もし

あまりにも現代社会とのギャップを考えさせられました。

現代の

守られて当然の風潮の現社会では考えられない事です。

戦争中の生死を さまよった極端な事柄で現在社会において

単に、未意味であったと片付ける人も多いかも知れません。

しかし今と、この先の日本の経済状況からも

税金等で 個々の国民の何もかも福祉等で守らなければならない。。。

働く意欲の無い人間も、勤勉に働いた税金で守らなければ成らない

守る事(お金)にも限度はありますが、、大方の国民は求めている。

現代の私たち日本人は、守られ過ぎている事を実感するべきで

もっと自立した考え方で自分の責任で事に当るべきと思います。

私も立派な事は言えませんが

日本の現代社会、、、

中途半端に生きているだけで、是で良いのか考えてしまいます。

戦争経験者は多くを語らない、、、

もう遠い過去の出来事で戦争経験者の生存者も少なく成り

風化して 語る人も少なく成ってしまいました。

昔の父の経験を

現代社会に当てはめるべきものでは毛頭ありません

私も当事者でも無い、戦争に正義は無く語る資格は有りません。

しかし今の日本平和ボケして国内外から多くの警笛が鳴らされている

警笛にもっと耳を傾け 危機感を感じるべきであると思います。

2012.03.24

(株)プラコー 創業20年

 (株)プラコー創業20周年

2012年3月に私が独立し

個人創業して20年((株)プラコー17期)と成ります。

お陰さまで人に恵まれ

『日本経済の失われた20年』と同い年で同級生ですが

変なもので反比例して

『日本経済の失われた20年』とは不仲の同級生でした。

今、私の20年を振り返り

独立数年で、現工場を作って海外に2拠点を作ったり

海外企業から世界市場の商品の部品を受注したり

慌ただしく

製造業として 会社は急成長させたと思いますが

私自身

会社経営は初めてで、世間とは別に急成長させてしまい

その都度

前に進めても 時代背景から常に戸惑いながら不安を感じ

前に出るのも、留まる事も、後ずさりする事も不安で

全ての面で

戸惑いながら、目先付いて行くのが精一杯の20年でした。

そんな人間が会社を作り 20年間もの間

前向きに引っ張って進めて来たのですから変な話で


片田舎の 何も知らない田舎者が こんな時代に

プラスチック成形業は、お金の掛かる設備産業です。

スポンサー無しで前向きに多額の設備投資を重ねて

時代に反し、休まずに攻め続けて来たと思っています。

是に付いては

長年協力してくれた社員

会社の危機的状態を守ってくれた社員

そして

不安定な時代に安易に人の採用も出来ず

それでも仕事があふれ、毎日長時間の残業協力して頂き

納期等の客先に対し帳尻を合わせに協力して頂いて

(株)プラコーの20年目の成長した今日があり

良きも悪きも全てが

この20年間のプラコーの歴史と成り 是までの

中国研修生等含めて全社員に感謝したいと思います。

そして

人は20歳から成人と成ります

(株)プラコーも

20歳の成人と成って色んな意味で次の上を目指したいと思います。

また

私の下の娘が生まれて4カ月目の(独立)創業でした。

別次元で、プラコーの歴史と共に成長して成人を迎え

今年4月から社会人と成ります。

私は毎日仕事だけで ほとんど夜 22時以降の帰宅

上の子供を含め一家団らんの親らしい事をして来ませんでした。

私の人生の中で一番悔やむ処で

この先の私の人生

今のままでは、一方向すぎて行き詰まる事は見えています。

2012.02.04

2012年1月 プラコー

2012年 1月のプラコー

先日,ハローワークに女性社員を念頭に求人を出しました。

今月から来月にかけて 南砺工場にて機械の増設を行い

今回、それに伴った本社と南砺工場の同時の求人活動と成ります。

今思えば

本社(高岡)での女性社員の求人活動は約2年ぶりに成ります。

( 私は、軽作業だからとパート、アルバイト感覚等で責任が化けるのは

余り好みません。

基本は、社員本人に自覚して頂き 女性も全て正社員として雇用し

戦力として 少しでも長い期間の雇用を考えています。

ただ私は、時代の先々の心配からプレッシャーで心の負担も大きく成ります )

当社での

女性社員の仕事は検査包装作業者と品管等の間接人員に成ります

製造業では当たり前ですが

製造原価を下げる為には 無駄と 精度と スピードが求められる

当方の検査作業も同じで、それが何処までも人の作業と云う事に成り

人の作業である以上、負担を軽くする事は会社全体の改善と向上に繋がり

結果、会社の収益として返ってくる。

その為にも

プラコー社内では検査作業自体は単純ですが人の作業(負担)との事で

検査場に不具合品を持ち込まない様に経営上も進めて来ましたが

プラスチックのコネクター精密部品は、特に形状的にも複雑で無理が有る

原料も添加剤で難燃剤の入った様な癖のある原料を多く使用しており

常に、バリ、ショート、異物他、諸々のバラツキとの戦いをしながら生産

結果、出来上がった製品を検査作業にて不具合品を排除し

精度を高めて不具合品0 との保証した形で検査を行い出荷している

上記

どんな仕事も大変だと思います

しかし時代も、何時落ちてもおかしく無い様な後が見えない時代に

社員数等の人の配置を考えると 安易に人材も置けない時代であり

一つの会社組織での負担は 組織内そして会社内で

全体の負担を平均化して総合的に負担を分担しなければ成らない。

クレーム1つ取って見ても

そこに1個の不具合品が有り、その1個がクレームと成る。

製造過程から、その1個を無くす努力をして

作り込みの段階からの精度を上げた物作りが必要であり

製造業であるプラコーは

延々と生産活動の中で続けて行かなければ成らない。

当社では

上記の通り,作り込みの段階からの管理に力を入れて来ました。。

単純な話であるが 本当に管理を追及して実行すると

人と人、組織と組織とが ぶつかってしまう

方法性と結果は、その会社の

社員の意識や質もあり なかなか思うようにいかないものです。

良くあるのが生産過程の中で

昔からの職人的気質の技術者感覚では

自分にケチを付けられたと勘違いして否定的に成ってしまう。

それを昔の男社会中心的考え方だと、当社の生産工程上では

結果として作りっぱなしで後々検査工程での負担だけが重く

その後始末に 多くの人材が必要と成って来る( 悪循環です )

今の時代 本当に作り込みの段階から

きめ細かい管理を組織の工程の中に取り入れて安定させ

会社組織として総合的な結果を出す。

( 口で言うのは単純で簡単ですが 実行出来ない )

本当に納得させて会社全体が実行に移そうと思っても

必ず

会社の伝統的考えや邪魔者等の人の壁が出来て本当に難しいものですが

今の時代、それに乗り遅れると会社組織の体を無さず遅れを取るだけです。

( 管理を取入れ追及する際、会社の伝統の人の問題が一番かも知れません )

それを今の プラコー内で実行するには残念ながら

私のワンマン経営での強制的な指示でのスタートし

( 当然、私のバランス感覚が必要である )

社内での結果を出して納得させる様な 実行(指導)しかない様に思います。

( 上記当り前ですが、どの会社も実行出来ない 現実が有ります

それを踏まえて確実に実行させる為のワンマン経営と成ります )

受注が有って 当然納期が付いて回る。

製造にて  拠り安定した良い物を作って。

検査作業にて  効率良く作業を行い確実な製品を出荷する。

製造業のプラコーは

単純に是に付きる、謙虚に受け止め実行する と云う事です。

是までプラコーは

時代に逆行して それなりに急成長をして来たと思います。

その成長に 若い社員だけでは会社の成長が追い付かず

年配者で 倒産した同業者の中途社員も雇用しましたが

残念ながら 良き時代を経験して 言葉( 口先 )ばかりで

今と 先々の答え( 先々自分は引退している )を全く持たない。

倒産した会社での 自分の栄光?の自慢話だけで危機感が無い

南砺工場を新しく稼働させた際も、新しく工場立ち上げで

バタバタと会社が忙しくて猫の手も借りたい中で 何度注意しても

1人フラフラして居るだけで戦力に成らず、存在が周りに悪影響

結果、南砺工場の稼働数年前に面識の無い人間を面接し採用して

言葉で誤魔化していただけで、最後まで戦力に成らず 実績は無し

企業人として疑問を感じる様な人間を 私は是まで見て来ています。

( 私の指導力が無かったのか 私が一番無駄で後悔している事柄です )

そんな中で、年配者であり 場違いな会社に来て空回りしていても

毎日、夜遅くまで協力の気持ちだけが伝わって居たのは兄だけでしたが

静の世界から、急に製造の動の世界へと世界が違い継続出来ませんでした。

私は社長である以上

時代の閉塞感に関係なく 私の責任感で仕事でプラコーに関わった

前向き で向上心があり 責任感のある 若い社員の将来事に対して

小さな会社で微力ですが

私は、少しでも夢を持った仕事をして貰いたいと考え経営をしています。

私も批判だけで、言う事と思うだけ かも知れませんが

先々も 出来るだけ長く思い続け 少しでも実行して行きたいと思っています。

最近 製造部内で

『 こんな事をしていたら 後の検査作業大変やぞ 』

と言った言葉が 製造部内のミーティング中に出て来ます。

私が是まで待ち続けていた言葉です。

自分一人が楽をするので無く

常に、相手と周りを思いやる心が 絶対的に重要で

会社運営で、苦労を共に社内で共有する事は団結にも繋がります。

この言葉で、仕事が有って 経営がまともであれば

やはり 会社は人が作って成長して行くべき人の集団( 組織 )です。

プラコーは まだ成長出来る会社であると確信して前に進めて行きます。

今回、また私の頭の中での、私の煩悩の世界での話でした。 

2012.01.07

2012年 年頭の挨拶(訓示)

 2012年 年頭の挨拶(訓示)

2012年 変動と変化の時代へのスタート元年

新しい年明けと成りました

今年は是までと違った変化の年と成りそうです。

私が独立後、経験したマイナス経験として大きなものは

バブル崩壊  ITバブル崩壊  リーマンショック等があります。

プラコーは現在、世界的市場商品の末端部品を生産している

世界の経済変化にプラコーも大きく振り回される運命にあり

2012年の世界市場( ユーロ問題等 )は

今後大きな分岐点の年と言え、それに伴い末端製造業のプラコーも

大きな変動に振り回される、スタート元年と位置ずけられる運命と思え

この変化は

新しい時代への変化であり 私も経験の無い変化と思える

日本の経済の良き時代、自分にとって都合の良い時代の過去を

正当化した会社経営と運営は、現在と今後の経営は到底出来ない。

私自身この数年間は、会社運営に失敗して反省しなければ成らない。

そして新しい変動の時代の変化に

未来に向けた、過去からの固定的観念から学べる事は少なく

今後の変化を考えると、あえて無いと言っても良いかも知れない。
過去から学べる事は、失敗を謙虚に受け入れて後々軌道修正を行い

この先の 未来を冷静に読み取り 謙虚に

与えられた未来に向かう テーマを確実に実行して行くだけである。

2012年 新年を迎え 今年のテーマは

先々の未来を考え 未来を勉強し 未来に突き進む。

此れまでの良きも悪きも、それなりのプラコーの成長の時代等は

全て 過去であると認識すべきで

謙虚に、そして力強く未来を検討して確実に実行して行くべきであるが

プラコー社員は全体に若い

安易な昔からの固定観念を捨てて、未来を切り開く土壌は充分ある筈である

そして

技術的,管理的にも、総合的に社会が求めるレベル以上の価値のある仕事をする

( 客先から一目を置かれ、客先がプラコーに対しメリットを感じる会社を目指す )

その為には、個々に意識を持って責任ある仕事をして貰わなくては成らない。
自分の可能性を振れずに常に求めて行かなければ成らない。

社員に要求するには

会社も少しでもチャンスを与え、それに応える責任もある

厳しい時代の末端の製造業は

競争力があり 売上と利益が無ければ 客先と外部から振り向いて貰えない。

以上

謙虚に素直に意識を持って上を目指し行動力を持って実行して貰いたい。

今年の社員への要望事項

① プラコー(男性)社員全員若く、中途採用の新人ばかりであり

現在は、穴埋めに振り分けて いるだけで適材適所と言い難い

歴史が無く、勉強もせずに知識が無く、立場だけで仕事を真っ当出来ない。

年配者の社長である私が、未だ未完成であると自覚して謙虚な姿勢で

先のレベルアップを目指している中で

実績が無く 若いくせに勝手に立ち止り 成長の無い社員には

言葉は悪いが

後々会社の成長を止める事に成り その様な人間に興味は無い

小さな会社ではあるが 常に意識の高い社員を育てて人の移動を進め

その都度、適材適所を図り、その時々の会社の成長を心掛けて行く事が

後々、立ち止まらない会社の成長となり プラコーそのものの力と成る。

*今年からプラコー社員の海外派遣(プラコータイ)も

今後の展開によって 検討しなければ成らない状態に成るかもしれません。

その際、タイ、中国を含め、その国のローカルの社員は最近特に成長して来ており

ただ 日本人だからと誤魔化しでの派遣は今時は海外では通用しません

海外では、しっかりと意識を持った技術者等の日本感覚の管理者が必要と成ります

その為に、ある程度 厳格にプラコーを之まで進めて来た経過もあります

私は是まで

プラコー社員の プラコータイへの海外派遣の必要性は 充分感じていましたが

とても これまでプラコー社員 その様なレベルでは無い

私は、プラコータイに 派遣出来る様な社員を育てる思いで焦って居たのは事実です。

各社員、プラコー内、そして日本国内だけで無く 何処に出しても恥ずかしく無い

知識と 技術と 人間性を 今後身に付けて頂きたいと思います。

② 今後の製造業の海外展開等を考慮し

海外勢には 追いつかなくても コストの少ない物作りを より進めるしかない

各社員は大変であり 厳しいかも知れないが、今以上の維持活動を願いたい

それがプラコーの生き残りの一つの競争力と成る。

③ 仕事があって、ロットが長くて利益が出るのは当り前である

現在の南砺工場が良い例である。

しかし下降線をたどった時に仕事が極端に落ちて経営も出来なく成る

今後、成形機も増設して行くが、売上は落ちても小ロットも取り入れ

幅を持った多品種の受注により景気の波を小さくしなければ成らない。

④ 不安定要素が多い時代

ここ数年間色んな事があり、私の経営バランスはズタズタである

そして私の年齢からも 今後はプラコー各社員に成長して貰い、

バランスを少しでも良くして末長く生き残る会社にしなければ成らない。

⑤ リフレッシュ休暇

連続3日間の有給を取って貰い 休日も入れて5日間は仕事から離れ

リフレッシュして貰う。

資格    1年以上勤務して有給が10日以上残っている社員

本人申請 1カ月前(会社として準備が必要です)

会社通達 1週間前までに個々に通達

*休暇を取った穴埋めは各部門で検討願います。

⑥ 義理事

プラコーの社員は全体に若く 社会人としての教育がされておらず

大人として社会人として 一般的に義理事に無頓着と言える

社長である私も 人間であり 神様では無い 感情もある義理と義理事を

果たさない 社員に義を果たす必要があるのか疑問に感じる

今後

会社を円滑に運営する為にも 社会人として個々の人としても協力願う。

⑦ 報告を怠るな (当然の義務であり 最も重要な事です)

報告が無ければ誤解も生まれ、会社の動きを止めてしまい 違う方向へと行き

最後に客先等の外部に対しても信用を失い 取り返しの付かない状態となる。

私一人で会社の成長と維持は無理であり

社員に任せる処は任せて、その社員にも責任を持って成長して貰い

その社員と共に状況を見ながら会社を発展させる考え方です

従って、まともな報告の出来ない社員に任せる訳にはいきません

報告は義務として 確実にしてブレの無い様に行って貰い

今日1日の 纏めとして整理して報告し家に帰る事により

各社員 仕事と私生活を分けて 頭の切り替えをして貰いたい。

昨年も南砺工場にて 安易に報告を怠り幼稚な事故が発生しました。

勝手な判断で真面な管理もせずに 担当レベルで指示を曲げてしまい

客先にも届くトラブルも集中して発生しました。

会社の安易な妥協と 個人の勝手な判断で行動を起こせば 20年間近く

苦労して積み上げて来た客先からの信用も簡単に落としてしまいます。

絵に描いた様な 理屈と批判等は、普通は誰でも口に出して言えるものです。

今の厳しい今の世の中で、

実際に有言実行で成し遂げる事は 百に一つで非常に難しいものです。

確かに大変ではあるが、プラコー各社員は、謙虚さが無ければ後の成長は有りません

意識を持ち続けて、会社の意向を理解して立ち止まらずに自分を磨いて頂きたい。

以上、

年頭に辺り、まとめて診たが結論めいた事をなかなか言えません

それだけ難しい時代であり、全ての面で変化の年と言えます。

先々も変化を受入一つ一つ整理しながら進めて行くしか無いと言う事です。

プラコーは若い社員が多く、先々は個々の生活や家庭等これからである

どんな状態でも自分を守り抜く為には 常に希望を捨てずに進めるしか無い

それは各社員が 自分の個人の責任として受け止めて行動して頂きたい。

2112年1月

株式会社プラコー  代表取締役 上坂敏志夫

2011.12.31

2011年 終了

 2011年 終了

12月28日 仕事納め後、忘年会

29日~31日の今日まで工場の補修を行い

プラコーの2011年は全て終了しました。

今年1年

プラコー日本( PLJ) は

東日本地震災害の影響で5月頃から一時落ちましたが

8月以降持ち直し業績は、まずまずであったと思います。

プラコー南砺( PLN )も

東日本災害の影響は有りましたが

2年前の素人集団のスタートから

ようやく企業組織としての体を成す形と競争力も多少付いて来て

企業競争の出来るスタートラインに立った気がして来ました。

プラコータイ( PLT )は

10月からの洪水で当社は影響が無かったものの

客先等が被害に遭い当社も落ち込みましたが

最近は立ち直りつつ有りますが、1年を通して

なかなか業績を評価できる状態では有りませんでした。

他にも災害と言えば

私が独立して諸々と最も災害の多い年で遭ったと思いますが

気分的にはプラコー日本( PLJ ・PLT )は

南砺工場稼働時に入社した2年生組の若い社員が

少しずつ知識を取得し成長してくれたおかげで

私を含め

会社全体に落ち着いて仕事を進められる状態に成った事が

業績よりも 

今後もプラコーを進めて行く上で

(今後も仕事が有っての事と成りますが)

今年一番の評価出来る事柄でないかと思います。

以上、災害の多い年でしたが

今年一番の朗報は

やはり初孫が出来た事です

東京に住んでおり、なかなか会えませんが

もう誕生から5カ月に成り、時々写メールで写真を送って来ます

どんどん成長し顔も変わっていきます

写真を見ているだけでも、、ホンマやっぱり可愛いもんです。

以上

今年1年間 無事終了しました

今年1年間 無事に過ごせた事に感謝し

来年に結び付けて行きたいと思います。

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