2009.05.23
今月20日、当社のタイ工場の責任者(工場長)のお父さんが亡くなられました。
6年半前に当人がタイ工場着任以前から、お父さんは身体を壊されておられ
それでも最近まで家業のうどん屋さんを経営されておられました。
私も昔(20年位前)に、当人の家に行ってお父さんにお会いした事があり
自分の息子の事を、幸治君と呼んでおられた事が印象に残っています。
(幸治君と呼ぶ事で自分の子供であっても、息子を人として認めていると感じました)
その後、私が独立し、タイランドにも工場を持つようになり、再び私との縁があって
プラコータイ工場に責任者として6年半前に着任し半年位後の?
6年前からお父さんの身体の状態を聞いておりました。
当人も日本に帰って来るたびに、お父さんに会うのはこれで最後かも知れないと
日本に帰国しタイに戻る際、その度に覚悟を決めてタイに戻って勤務をしておりました。
それが今年に入り容態が思わしくなく入院され、3月頃には、お兄さんからも
お父さんの容態が悪く、見舞いに一度帰国するようにとの連絡が来ていたそうです。
(お兄さんも、海上保安庁に勤務されており、全国を周期的に転勤されている)
先月の4月30日に親戚の結婚式の為に日本へ帰国して、お父さんと対面したそうですが
もう末期症状で意識もハッキリしていない状態であったと報告を受けておりましたが
とうとう今月の5月20日夕方に息を引き取られました。
結局、親の死に目に会えなかったことに成ります。
当人は家族を連れて慌しく帰国、その当日の6時間後には、お通夜、そして翌日葬儀と
ただ慌しいだけの中で父親を最後に見送る事に成ってしまいました。
今から9年前
始めてタイランドにPKTテクノを立ち上げ、それから1年位経った時にも
当時、単身タイに乗り込みPKTテクノを立ち上げ現在は現地の代表をしている
責任者のお母さんが急に無く成られ、当時も今回と同じく
当人はタイランドにおり実の母親を最後に見送る事が出来ませんでした。
9年前のPKTテクノの責任者のお母さん、そして今回のプラコータイの責任者のお父さん。
当人達は海外生活+海外で勤務しており、簡単に日本に帰って来れるものでも無く
本人達の、その場での帰国希望等の要求があった訳では一切ありませんが
最後の場に立ち会わせる事が出来ませんでした。
本人も納得して居り、仕方の無い事かも知れませんが、、、、、
やはり私は、会社代表責任者として罪の意識に駆られます。
当人らは海外で、自分に納得させて意識だけは私以上であると思います。
私は
規模は小さいですが会社を経営しており、尚且つタイランドという海外にも会社を持っています。
そして海外である、タイランドに日本人従業員を日本から送り込み、勤務をして貰っています。
私は小さい時から
親の死に目には私が枕元にいて見送ってやるものだと思っておりました。
それが出来ないという事は、昔は親不孝者であると教えられて育ちました。
しかし現在の私の状況は自分の部下に それを、させてやる事が出来ない以上
私自身も自分の親に確約できない。
私は現在88歳の父と83歳の母が実家におります。
母はもともと身体が弱く、私の小学校の頃から30歳近くの年まで心臓を患って入退院を
繰り返しておりました。
今は、20年以上前に身体にペースメーカーを入れてから元気にやっていますが
年少の頃から、母が心臓病という重い病である以上は親の死と言うものを意識した事が
何度かありました。
(幼い時、初めて母の病気の重大さが知った時は一人で泣きました)
そして数年前から父が老齢から病院に入ったままになっており、私が見舞いに行っても
ただ、目をパチパチさせて私を見るだけで息子である事を理解しているのか???
よく判りません。
私の父は私が生まれる15年位前?、戦争当時に海軍のそれなりの学校を卒業して
戦争終了まで沈まなかった事で有名な軍艦:利根を終戦まで守りぬいた事を誇りに
したバリバリの元海軍軍人でしたが、、、、、、、
現在ベットに横たわっているだけの姿は見ていて情けない様にも感じます。
昨年の正月に実家に年頭の挨拶に行った際に私の兄は兄弟3人を集めて病院から
先々、何があるか分からないので、もしもの時の覚悟をして置いてほしいとの事。
そして、兄から「何かあった時の事を各自心の準備をしておいてくれ」との事でした。
私は自分の社員を海外に送り込んでおり
送り込んだ社員に対し、最後の親の死に目に会わせる事が保障出来ない状態でいる。
部下にその様な状況で仕事をさせておいて、私だけ充分な事を言う訳にはいかない。
いざと云う時
その時の判断は、実の母親に預け後々文句は言わない。と云う事にしてあります。
他
昔、タイランドにて日本から当時の通産省の技術派遣団(JODC)の会長をされていた方は
それまで私がタイランドを訪問した際、日曜日にはゴルフをご一緒させて頂いていた方で
非常に温厚で好い方でした。
それが、今から5年前の64歳位でタイランドにおいて脳溢血で倒れられました。
その際、私もたまたまタイランドにおり病院に駆けつけました。
その方は、それまで通産省からタイランドの田舎にある、タイ人ローカル会社に在籍され
日本人はその方一人だけで回りは全てタイ人でした、日によっては日本人に全く会わない
生活をされておられました。
タイ人の世話役の会社スタッフの方も突然の事で、どう対応してよいか分からない
2日程して日本から奥さんが駆けつけられ、3ヶ月程で何とか口もきけるまでに回復されて
何とか日本へ帰国されました。
3年ほど前に出張で三重県に行き桑名市の自宅を訪問して、久しぶりにお会いして来ました。
その時は自宅で車椅子の生活をしておられました。
タイでの日焼けも無くなり白顔でしたが元気そうで、タイでの生活とゴルフを懐かしく語られて
リハビリをして良くなったら、もう一度タイに行たい、その為に毎日頑張っているとの事。
「その時は、私も御一緒しますよ 」 と答えて家を後にしました。
私はその一件以来
人生、自分は大丈夫だと思っていても、先に何があるか判らない。
タイに派遣した、私より10歳年上(当時59歳)の社員も何時何時何があるか判らない。
何かあった時、その時は海外に送り込んだ、私の責任であると思い。
「倒れる時は、日本の畳の上で倒れてくれ」 と冗談交じりに伝えました。
その際に当人から
自分の身に何かあっても、、、それは社長の責任とは思わないでほしい。
自分は、自分から売り込んで、自分からタイの国へ、自分の意思で乗り込んだ
自分が初めてタイに着任する際に
自分は、もう日本の畳の上で倒れる事は無いかもしれない。
それを、自分の家族(女房+子供)に言い聞かせてタイランドのビジネスをスタートさせた。
これは
自分の意思であり、責任であり、社長が責任を感じる部分では無い。と私に言いました。
私は
タイのビジネスのスタート時に日本から送り込んだ社員の強い意志を始めて見せ付けられ
それまで私の持ち合せていない、ヤマト魂を見せ付けられた思いがして心が打たれました。
私はそれまで、社長としてタイランド進出をいかに安易に考えていたか?
社長から、ハッキリとした展望も打出さずにタイランドに単身赴任させておきながら
当人の不退転の志に心を打たれ。
日本人の心の奥に秘めた根性(思想的)を平然と見せ付けられた思いでした。
これは日本でのんびりサラリーマンをやっていても此処までの強い意志は出て来ない。
特殊な海外勤務だからであり、自分自身を追い込んだ環境に行かないと言えない事です。
私も素直に、彼のヤマト魂を見習なければいけないと思いました。
その頃から
日本人の内面的な思想的部分(大和魂 等)で海外から日本を意識する様になり。
内容はかなり違いますが、私が20歳位の時、それも何と無く書店で買った本で
草柳大造の「特攻の思想」という本を思い出しました。
特攻隊員の家族への最後の別れ。
戦争の専門家が散っていなくなり、戦術も立てられない状態の中で
戦争に勝つ為では無い、日本の国を残す為に散って行った人達がいます。
良い悪いとは別の次元の、明日の日本という国を守る為の最後の戦術でした。
立案、指揮を取られた方は終戦2日後?
一言の言訳もせず、無言のまま、最後に一人散っていかれました。
(美意識に飾られすぎかもしれませんが)
この行為を犬死と伝える人もいますが、 私はその様に思いたくありません。
私が個人的に重んじる 義 という言葉、これも日本人の義なのだと思います。
しかし私は、変な右翼的な崇拝者ではありません (絶対に勘違いしないで下さい)
今回、当方海外従業員のお父さんが亡くなられ、その延長線で
私の実家の父の昔の事を書込んで話を進めて行ったら、話がこんな処にたどり着きました。
言訳がましいですが、人に強要するものではない書き込んでいくと話がこうなっただけです。
当方
タイランドの日本人幹部社員は海外で日本を意識して仕事をしている。
その、幹部社員は日本人であり、心は日本男児です。
その、幹部社員は日本人の誇りと、日本人の心である 大和魂 を意識している。
それは、日本を出て海外ビジネスを行う上で、外国人の中で孤軍奮闘しなければならない。
それは、意識や感覚等も全然違う中で、苦しみや辛い時の心の支えとして尚更言える事です。
だから、各幹部社員は日本人の心と日本人の誇りである大和魂を持ち続けたいと思うのです。
海外でビジネスを行い、血の滲む苦労して初めて理解出来る海外駐在員の心の支えなのです。
残念ですが。
現在の若い日本人は、ヤマト魂を頭に鉢巻にする事しか理解出来ない。
私も、日本人です。
私も、現在海外ビジネスを行う際に、大きなものでは無いかも知れませんが
日本を意識し、日本人である事を意識して、大和魂を意識しております。
それを、数年前から日本にいても意識する様になりました。
それは、頭に鉢巻をするのとは訳が違います。
私は、自分自身の心に鉢巻を、巻き締める様に成りました。
(最後の部分で話が堅くなりました。この様な話で不適切な言葉、内容があればご容赦下さい)
最後に
改めて、今回亡くなられた、PLT(プラコータイ)責任者のお父さんに合掌 致します。