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父の 自分日記

父の 自分日記(戦争体験記)


最近

一昨年亡くなった父の日記(自分日記)を読みました。

是は今から10年程前に私の実家の地元自治会で

村社の お宮さんに

後世に記録として残すタイムカプセルを埋めるとの事で

戦争経験者も少なく成り(現在、実家の自治会では経験者はゼロ)

私の父に、戦争経験談を記録として後世に伝えたいとの趣旨で

自治会から依頼されて纏め上げたものでした。

以前、この様な趣旨で話があり

本人が纏めている事は知っていました。

 

今回、その写しを姉から預かり初めて読みましたが

当時の日時がはっきりしており 常に死と向かい合った生活

( 現に 父の実兄は戦死しています

父の記録によると、父が21歳位に、トラック島で兄と再会しています

当時、父は小さな船の責任者もしており、ある程度の自由がきき

兄も父の乗船している、船名は判っており、お互い探していた様です

父は兄と久しぶりに再開して自分は、この先海軍の上の学校に行く為

日本に一時帰ることを伝えると、兄は自分の腕時計を直して来てほしい

もし、この先再会できなかったら自分の形見として受け取って欲しいとの事

その後、父は学校を卒業し任務でトラック島に行き 兄を探しましたが

すでに戦死しており、後々その形見の腕時計を大切にして

私が小さい頃、自分でその腕時計をはめていたのを私も覚えています )

 

当時から几帳面に日記(記録)を付けて

何時、果てるとも知れない日々を

その時の 今の瞬間を

自分が生きている証として記録していたと思います。

 

内容は

海軍入隊から 終戦後の戦後の後始末(除隊)まで記録され

旧日本帝国海軍が太平洋海戦で最大の犠牲を出し

後の 日本の敗戦を決定付けた、トラック島周辺の海戦にも参加して

毎日、

戦友が次から次と戦死して行く状況を刻銘に記され

本人も真近に 死と向かい合った状況を刻銘に記され

逃げ場の無い 軍艦の船上で身近な戦友が次から次と

血まみれに成り、戦闘の最中、戦友を救う事も出来ず

機関砲も戦死者を押しのけて 迫る敵戦闘機に立ち向かう姿

それでも次から次へと、戦友が戦死して行く状況を記されており

ただ壮絶としか言えません。

父は此処まで、生死のギリギリの状態を経験しているのか

生死の極限での状況下で、文面からも 自分で覚悟を決めて

周りが 戦死者だらけで、人も尽き、弾薬も尽きて

父本人も 覚悟を決め もはや死をも恐れぬ冷静な姿

恐ろしくもあり、生と死の極限を生き抜いた事を尊敬もし

あまりにも現代社会とのギャップを考えさせられました。

 

現代の

守られて当然の風潮の現社会では考えられない事です。

戦争中の生死を さまよった極端な事柄で現在社会において

単に、未意味であったと片付ける人も多いかも知れません。

しかし今と、この先の日本の経済状況からも

税金等で 個々の国民の何もかも福祉等で守らなければならない。。。

働く意欲の無い人間も、勤勉に働いた税金で守らなければ成らない

守る事(お金)にも限度はありますが、、大方の国民は求めている。

 

現代の私たち日本人は、守られ過ぎている事を実感するべきで

もっと自立した考え方で自分の責任で事に当るべきと思います。

私も立派な事は言えませんが

日本の現代社会、、、

中途半端に生きているだけで、是で良いのか考えてしまいます。

 

戦争経験者は多くを語らない、、、

もう遠い過去の出来事で戦争経験者の生存者も少なく成り

風化して 語る人も少なく成ってしまいました。

昔の父の経験を

現代社会に当てはめるべきものでは毛頭ありません

私も当事者でも無い、戦争に正義は無く語る資格は有りません。

しかし今の日本平和ボケして国内外から多くの警笛が鳴らされている

警笛にもっと耳を傾け 危機感を感じるべきであると思います。