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(株)プラコー開業19年

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プラコー開業19年
今月で(株)プラコー開業19年となります。
19年前の3月7日(先勝)に成形機を入れて
3月19日(大安)から稼働しました。
これまで何度も申し上げていますが
バブルが弾けて1年後の2番底がどうのと
云われた時期でした。
これまでの私の19年間は
1年目~4年目
男性は私一人 +パートが数名
プラスチックの仕事は24時間稼働です
3台でスタートして4年目に成ると8台を一人で見て
日曜も含め睡眠時間は1日3~4時間程でしたが
何時、落ちるか不安で無我夢中でした。
4年目に現在の工場を建てて
有限会社プラコーを設立
初めて男子社員を入れて男子社員を養う為
4台増設しました。
それから3年(独立7年目)
私にとっては専門外の業界でしたが
私を頼ってきた人間を世話する事で
PKTテクノを設立してタイに事務所設置
私はタイに通いながら
本業のプラコータイ工場設立の見極めから
設立準備に入りました。
同時期
台湾企業との取引開始(後5年間位取引)。
それから3年(独立10年目)
プラコータイ設立(稼働)
スタートまでタイ現地の日系企業に
当方のタイ人を預けて指導して貰い
見極めを付けての稼働開始でした。
借地にてプラコータイの稼働開始。

それから3~4年(独立14年目)
現在の南砺工場取得(数年は倉庫として貸出)
会社組織変更(有限会社⇒株式会社へと増資)
ISO9001の取得
高岡本社の増築。
会社設立10年、法人会社としての整理の時期でした。
それから3年(独立17年目)
南砺工場稼働
リーマンショックの急激な落込み
2月が最大の落込みで 3月流れが変わり多少上昇
(リーマンショック前の80%位のダウン)
⇒4月10日頃に南砺工場稼働を意志決定 ⇒設備手配
約4か月間、面接を繰り返し社員の増員=約30名増員
(4月売上り上げ=リーマンショック前の35%で上がり基調)

南砺工場稼働判断
普通、リーマンショック後直ぐに、、普通この様な判断はしない
これは
お客様からの情報と、その会社と、その会社の人を見せて頂き
オーナー社長としての私の独断の判断でした。
急激に落ち会社整理後、直ぐ急激な立上げで社員の大幅な増員
とにかくバタバタして人の出入りも多く、その中で
無知の新人相手に従来の社員も良くやってくれたと思います。
以上
それから3年、、、、、と云う事で
3年周期(3年計画?)で物事を進めて来た事になり
私は、休む暇が無く前向きに進めて来た事に成ります。
この後
直ぐに3年周期が待っている事にも成りますが
19年間、私の中に3年周期が使命の様に固定化された
リズムの様に成っていて怖さと草臥れも感じます。
私の中に会社を守る為とはいえ
ここ数年、自分の中での横暴さと荒さを感じていました。
それを、タイの責任者に伝えると
『 社長は見方により勝ち馴れしているのでないか 』
との指摘
私も最近、今の時代が時代だけに
会社を引っ張っていく上で、仕方無いと思いつつも
自分で、それを感じて自分に怖さを感じていました。
是までの調子で行くと危険である事も承知しています。
見方に選っては
今の社会的状況で許されるのであれば
此処で立ち止り充分考える事も必要であると感じますが
現在から未来にかけて
時代の移り変わりが早すぎて、その様な訳にも行きません。
有限会社プラコーを作り3年目
タイ進出して工場検討の際に
現地の人からは、タイで工場を作るのあれば
日本の工場を捨てなさい、と大方の方に言われました。
私としては
有限会社設立3年のヒヨコ状態の中途半端な会社
私の中に大義名分は無く、そんな訳には行かない
タイで工場を作るのであれば
私の使命として
会社設立して数年(3年)の資金力も無い会社でしたが
日本のプラコーも同時に伸ばして行く事が
私の使命と責任であると思って両方進めて来ました。
その為
私の中では、大企業の様な膨大な資金投入が出来ず
歳月を掛けた小さな資金の積上式の設備投資しか出来ず
タイと日本の両方の中途半端さは感じながら進めて来ました。
また
是まで、私は寝ても覚めても仕事の事ばかり頭の中にあり
家庭と友人等、社会的な付き合いも抑えて来たのも事実で
自分を人として見た時、自分に対する疑問を感じてしまいます
しかし、だからと私は立ち止まる訳に行きません
会社社長では無く
人としての判断の中に辛い局面は本当に多々ありましたが
経営者として
会社を伸ばすことが責務と自分に言い聞かせて来ました。
この先、少しでも前向きに進めて自分に与えられた使命を
果たして行かなければ成りませんが
最近の私
考えすぎてボッとした日々が多くなり何もしていない状態
仕事 私生活 遊び等の区別が無く、日々何の進歩もない
もっとメリハリのある日々が必要と感じます。
来年は操業20周年と成ります。
現実、厳しい世の中ですが
少しでも良い状態で迎えられたらと思います。