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私から見た日本と中国

専門家でも何でも無い田舎人間ですが
これまで200回以上海外に行き
多少の外国人との付き合いの経験から物申す、、です。
最近,尖閣諸島の問題で日本と中国の関係が揉めていますが
尖閣諸島は日本の領土であり
国益からも絶対守らなければならない領土であると思いますが
歴史的背景から、ある程度も揉めるのは仕方ない
今回の騒動は先々の日中関係を考えた時
多少揉めて日本と中国双方の立場を主張し整理して
多少、ここで膿を出した方が良いと思います。
中国 反日デモ
5年ほど前の中国での反日デモの直ぐ後
取引き関係の有る会社の台湾人と上海で食事をした際
私から、第三者的意見として同行の台湾人2人に
『 どうして中国人は日本を嫌うのか? 』と台湾人に質問しました
その質問に台湾人は笑って
『 昔、台湾が日本の植民地時代、台湾には色々建設や産業の定着を行い
  日本人は台湾に対し、全体的な建設をして貰い感謝してます
  しかし
  中国(大陸)には 破壊活動だけで建設はしていません。 』 と
  そんな事も判らないのですか、、といった感じで笑われてしまい
私は
中国や海外から日本への見方が此処にある。。と感じさせられ
海外から日本を見た場合
私が、その様な質問する事自体が愚問と悟りました。
日本人は都合よく忘れていても海外での歴史の中に残っている
( 私は、戦後10年位経ってから生まれました )
( 私は、昔の日本の起こした戦争を知りません )
( 個人の私は、戦争責任は感じてはいません、、、殆どの日本人 )
それを日本人は
どんな理由があっても、中国から仕掛けた戦争では無く
日本の軍国主義の勝手な言い分で中国に進出し破壊活動を行い
中国人から見て、親、子供、友人等後を殺し、
人の心までも破壊し何の後始末はしない国、日本と云う事に成ります。  
戦争後の日本側からの事情として
戦後直ぐ冷戦時代となり、西側諸国に組する事で中国と国交断絶
ドイツと違い、中国側への戦後処理の対応ない状態で現在がある。
戦争当時の
人の心を踏み踏み躙っておいて、そのままと云う事に成ります。
(前々回、私のブログで父の事を書きました
 【 戦争経験者は過去の戦争の多くを語らない、、、、】
  国を守る為に戦争に参加し、結果として多くの人を犠牲にした
  当事者の後悔の念から、、、、、、多々あるのかも知れません)
そして
ここ2~30年余り日本企業が中国に金を投入して工場建設
上目目線で中国人を雇用し
これだけの事を中国にしてやったと云った感覚の日本人は非常に多い
日本人は近年の投資により勝手な言い分ばかりを正当化している
日本人は 最近の30年以内の現状を見つめ
中国人は 70年~100年前の過去の歴史から日本を見ている
と言う事になる
これは、中国以外の国に対しても言える事です。
30年以上前の中国との国交回復の際
過去を振り返らない との話し合いがあったらしいのですが
日本人は都合良く、、、それを言い
中国人側からは、破壊された国土と 人の心と命は
そんな簡単なものでは無いと云う事に成り
当然の事で私ら日本人は
日本の責任を置き去りに中国共産党はもっと酷い事をしている、、、
言訳であり、中国に対する内政干渉の部分も有ります
日本人が言えば、、、昔の責任逃れの言葉とも言えます。
中国人の心の立場を理解すべきであると思いますが
賠償問題を全て受け入れると日本の国家予算は直ぐ無くなる
理屈を言うのは簡単、現実は厳しい、、、
批判だけは馬鹿でも出来るが、それを整理し解決は簡単に出来ない。
( 私の様に 、、、、、)と言うことです。
そして
私は、世界から見た日本を勝手に悟ってしまいました。
中国 
南京大虐殺
  以前、中国から日本に嫁いで当社の社員と成った女性がいました
  以前の反日デモ当時、彼女と反日デモについて話し合った時
  『 社長は南京大虐殺を如何思いますか?』と質問を受けました。
  私は
  30万人以上の中国人が殺されたのは嘘である
  当時、南京の人口14万人位で死体を埋めるのに穴を3~4個
  掘って埋めたとあるが
  1つの穴に対し、如何して10万人埋められるのか?
  30万人分の骨等の発掘された話と証拠は聞いていない
  ただ、それらしいことは事はあったと思う
  しかし
  30万人が駄目で1人ならOKと云う理屈は何処にも無い
  人の命は1人でも人の命は命である。と答えました。
中国抗日戦争記念館
  中国に幾つかあり、瀋陽の記念館は外から見た事がありますが
  立派な大きな建物でした。
  これまでの
  中国国民の結束の要と成って、反日で国内結束を図る構図
  中国も豊かになり情報も豊富と成って限界は有ると思います。
台湾 
忠烈詞
  日本の靖国神社の様なものです
  1900年代の初め、中国の辛亥革命の際の英霊に始まり
  中国国民党(蒋介石)の対日交戦時代の英霊
  中国国民党と中国共産党との内戦での英霊
  特に目を引くのは、日本との交戦での英霊の忠烈士の 
  『 壮絶死 』と言う言葉で 多くの英霊を紹介されており
  日本人は忠烈詞に行って
  守護兵の機敏な交代を観光スポットとして多くの日本人が
  観光で訪問しています( 殆ど日本人です )
  私は
  3度目位の訪問で初めて展示物の内容を見てショックを受けました。
タイ 
カンチャナブリ
  タイランドの西側の車で3時間位の観光名所で 
  実話に基づいた映画 『 戦場に掛ける橋 』でタイ西部に実在します。
  近くには、広大の土地に旧イギリス兵の墓地があり
  カンチャブリの橋の袂に
  旧日本兵のイギリス兵に対する残虐行為等を写真や人形を使って
  展示してあります。
  何故か?橋の向こうにも中国人犠牲者の石碑等がありますが
  意味不明?な部分も有ります。
  東南アジア等の近隣諸国現地での日本の紹介はこんなもんです。
  予断ですが
  旧日本軍はタイのカンチャナブリからの物資輸送ルートを作り
  ビルマ(現ミャンマー)にから、インドのインパール辺りまで進出
  (これが、昔の大日本帝国の西側最大進出?)
  その後
  インパール戦線で負けて、日本軍は急激に萎んで行き
  ビルマ撤退の際の映画が日本映画で 『 ビルマの竪琴 』と成る。
  (安易に勝ち進み、カンチャナブリ等での補給ルートを断ち切られた
     === 教訓です )
中国、韓国を含めた東南アジアからの日本
確かに、日本軍等の進出等により時代の変化が起きて
長年続いた、植民地時代からの脱却は出来たと思います。
しかし結果として日本は敗戦国となって
戦後、経済に力を入れて今日まで( 今日までとして置きます)の
力を付け経済大国に成ったと思いますが
昨日 までの繁栄だけで天狗に成っているとも言える。
現在 日本は後追いの新興国の中で埋もれようとしている。
明日 からの日本は近隣の開発国と新興国との同じ目線で
    謙虚な姿勢で向き合って行かなければ成らないと思います。
*私は歴史の専門家ではありません、史実は間違っているかも知れません。
  また
  中国との関係では過去の暗い戦争時代を掘り下げないと、、、、
  日本人の都合だけで、過去の臭い物に蓋をして話していても
  過去の歴史があり、そして現在がある訳です
  其処の辺りも考慮しなが友好関係を保つ様にすべきと思います。