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『こだまでしょうか』 金子みすず

こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
 
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
 
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 
そうして、あとで
さみしくなって、
 
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも

東日本地震災害後の
今年3月から、よく各テレビ局で流されている
金子みすず の 『 こだまでしょうか 』 という詩です。
もう80年位前に作られた詩ですが
初めて聞いた時は、さほど気に成りませんでした。
しかし、自然に何度も聞いていると
時代に関係無く素朴な人の心を呼び起こさせる
今の私では見落としがちな人の
 心のキャッチボールと云う事に成ります。
現代社会の強制的なマニュアルとしてでは無く
『 人と人の関係は、自然に そして単純に 
          こんなもんだよ だから大切にしなさい 』
 と諭していると思います。
私が二十歳位の時、友達5人でフォークグループを作り
他のメンバーは都心で生活、私一人少し離れた所沢にいて
恥ずかしながらセンスも無いのに作詞を担当していました。
当時
私の好きな詩は、どちらかと言えば生活の中の素朴な詩でした。
そこで参考にしていたのが
数年前まではラジオ放送されていましたが(現在は判りません)
永六輔と 遠藤ヤス子? の司会で
『 永六輔の7円の詩 』と云う番組がありました。
昔、葉書が7円の時代
自分で作った日常生活的な素朴な詩を葉書に書き込み投書
番組の中で 両司会に朗読して貰うものでした。
当時、私も数回投書しましたが、、、
残念ながら、、、センスが無かったと云う事でしょう
私の詩をラジオで朗読された気配は有りませんでした
当時、それをまとめ一冊の本として出版され私も買いました。
当時の私、それなりに感受性があり素朴だったと思います。
現在の私
プラスチック成形業を営み
車の電装部品に関わる部品を生産しています。
これまで何度か客先に言われ教育されて
 社員にも言い聞かせている
人命に関わる、もの作りを行っている事に成ります。
その為に最大級の
厳格さを求められた社風なりを要求されてしまいます。
場合によっては信用は重要ですが
 人命はもっと重要である。
やっても、やっても、きりの無い追及なのかも知れません。
また監督の私と
それを理解した一部社員で生産活動を行っていても
新人等の一般社員は初めは、そこまでの理解度を持たない
そこに
危機感を感じてしまい社員を疑ってしまう事にも成る
変な悪循環的な要素は確実にあると思います。

個人から数年で組織のある会社にして
知人等を会社に入社して来ましたが
上坂個人の中での付き合いであれば然程問題が無い。
しかし
会社社長の上坂に成ると妥協できない、許せない、、、。
そんな自分に矛盾を感じていました。
それでも相手は知人の延長線以上の考え方が出来ない
私も相当悩みましたが
私は選択肢として当然大きな借金等を個人で抱えており
会社社長と孤独を受け入れる道しかありませんでした。
そして現在
社内マニュアルを作って会社全体を動かそうとしている。
それは作る製品が
人の人命に関わる事と成ってリコールが如何と成ると
現代社会の個人の自由的社会での 
《 個人の尊重の時代 》 の中で
《 厳格に客先からの品質等の信用を勝ち取り守る 》
為には
いくら個人の自由社会だからと
各社員の勝手な自由的な進め方は到底無理
私ら車の電子(電装)業界では何処からも認められない
 より鉄則的な掟的マニュアルの実行となる。
限りの無い信用を勝ち取る為には
自由社会と  ビジネス上の厳格な守り 、、、
この両面の矛盾した、複雑で、難しい、世の中に成っています。
単なる ものを作るだけであれば良いのですが
物事が複雑で難しすぎて就いて来れ無く成る
社員が出てもおかしく無い状態と時代に来ている。
また管理者が押し付けるだけで
立場上、自分は許されると云った様な勘違いすれば
社内全体
矛盾だらけになり収集がつかなく成ってしまいます。
最近、
私ら富山県から全国的なニュースとして
私ら高岡市と隣町の砺波市で発生した。
 焼肉屋の食中毒死事件
これまで客先への対応では好評価の店でした。
現在の特にサービス業の客先対応は
完全マニュアル化されて店員すべて同じ対応
マニュアルに縛られ
コンピュターに合わせた様なロボット化している。
一見素晴らしいと思いますが
裏をいえば
仕事の原点からの教育が出来ず
マニュアルを作り
マニュアルに頼った仕事の進め方しかしていない
食肉の 知識と 取り扱いの基本(原点)を無視し
 根拠の無い、上辺だけの仕事の進め方の延長線に
 今回の様な問題が起きてしまった。
言い方を変えて
基本(本質)を無視した
マニュアル社会の延長線の 現在社会の上辺しか見られない
本質の判断が出来無く成ってしまい最大の欠点かも知れません。
私はビジネスは時により
人と感覚等を無視した怖いものと実感しています。
基本を無視した
マニュアルだけの会社運用にも限界にあり
それを悟った時
一度、人そのものの原点に戻る事になります。
今、
実行する人を無視した様なマニュアル化が進みすぎて
マニュアルを実行するのは人である事を忘れてしまいそうです。
複雑すぎる現在、それを検討すべき時なのかも知れません。
話は戻り
現在の製造業の現状
《 自由な時代の中での厳格な守り 》
客先等に対し
守るべき処は、しっかり守らなければ成りません
そして、理解力があり、あるレベル以上の社員で
なければ成りませんが
延々と 複雑に 強制的な積み上的な管理方法等に
持って行くので無く
一度 原点を見直し業務をより素朴で単純に理解しやすい
処に持って行け無いか検討して行きたいと思います。
地震後 特に色んな意味で
海外から、本来の日本人への見方が変わりました
それは
本来の日本人の素朴さのが原点にあると思います。
そして現在
仕事に要求され、取り組んでいる事柄等は
昔の素朴で従順な日本人が原点にあると思いますが
現在、その延長戦に複雑化ししている
時代の要求と共にレベルアップはしているかも知れません
しかし
要求事が時代と共にどんどん蓄積されて行くだけで
過度なレベルアップ
  (うまく説明出来ません)
現時点で、日本人自体がアップ アップに成っている
それが原因で日本の社会的問題も多く発生している
本来の素朴さが原点の
日本人からかけ離れて来ていると思います。

私が会社運営で思っているのは素朴さを原点とし
全社員が理解出来る単純な物作りの会社
これは
客先の都合もあり簡単ではありません
マニュアルを無視するものでもありませんが
本来の日本人と日本人の心の原点である
素朴さの中の 侘び寂び的な心
日本人の原点的心を呼び起こす事が必要で無いかと思います。
これが私達日本人が
海外勢から一目置かれる本当の原点であり
外国人が日本の東日本地震災害者をテレビ等で見た時
テレビに映る年配者は、控えめに、冷静で、素朴でした
日本人の製造業の心の原点も、ここにあると思います。
原点の見直し、 原点の復帰、 原点の新たな積み重ね
日本人が絶対に失ってはいけない重要な心で無いかと思います
しかし
私が何の答えを持っている訳ではありません
我社の社員の年齢の80%は30歳前半から下の年齢層です
会社の生末と社員の将来を考えた時
会社の規則の取り決めであるマニュアルは必要ですが
それに縛られたロボット集団にはしたく無い
これを実行するには各社員の自覚が最優先ですが
本来の日本人の
素朴さの中に、礼があって、情がある、仕事の中にも情を感じる
客先等にも、それを感じ取って貰える。
間違いなく 100%理想ですが
理想は理想で、そのまま終わるかも知れません
しかし
私が勝手に追い求める事は個人の自由だと思います。